科学に興味がない人にこそ
読んでほしい
本書の企画段階で、伊与原さんは編集者から貝の博物館に関する話を聞いたという。その話をきっかけに書かれたのが『アンモナイトの探し方』。
北海道を舞台に、屈折した気持ちを抱える少年とアンモナイト化石の採集に人生をかけてきた老人のひと夏の交流を描いた作品だ。
「編集者の方が訪れたのは、在野の貝研究者が集めた膨大な標本が展示されている、神奈川県真鶴町の遠藤貝類博物館です。実は、アンモナイトにも有名なコレクターがいて、その方のコレクションは極めて学術的価値が高い。この物語は、そうした話をきっかけに立ち上がりました」
物語の後半には、老人の次のようなセリフがある。《科学に限らず、うまくいくことだけを選んでいけるほど、物事は単純ではない。まずは手を動かすことだ―》
「普通の人は、アンモナイトの化石なんかにほとんど価値を感じないですよね。でも僕は、意味のないことに一生をかけるところがいいなあと思う。
誰もアンモナイトに見向きもしない世の中は寂しいし、心が豊かではないと思うんです」
6編の中でも週刊女性読者にイチオシなのが、家庭に疲れた主婦が山登りを通して自分の人生を再生しようとしていく物語『山を刻む』だ。
「山に行く若い女性が登場する小説はあると思うのですが、あえて、子育てが一段落したような年代の女性が、山でなにかを考え、決断する小説にしたいと思いました」
本作では、科学に明るい人物として火山学者が登場する。
「火山学者には、山が好きで、山に登りたいという理由から火山の研究をしている人が結構いるんです。火山に限らず、地球とか宇宙の研究者は、科学に対してどこかロマンチックなとらえ方をしているように思います」
ちなみに、伊与原さんは次のような理由から科学の道を志したそうだ。
「ものすごい科学少年だったわけではないのですが、父が科学や機械が好きで、家の中に科学雑誌があるような環境で育ちました。そのため、自然と理科系の勉強をしたいと思うようになりました。
大学に入学するころには野外での調査にも興味を持ちはじめ、地球物理学の方向に進みました」
本書の主人公たちは、科学や研究者と触れ合うことで、癒されたり励まされたりしながら、ほんの少し心の中に変化が生じていく。
「科学的な知識は登場しますが、僕は人間ドラマを描いたつもりです。ですから、科学に興味がない人や知識がない人にこそ、読んでいただけたらうれしいですね」
ライターは見た!著者の素顔
研究者から小説家へと転身した伊与原さん。頭の中は常に小説のことでいっぱいなのだとか。
「気分転換はテニスです。頭の中で小説のことがゼロになる瞬間は、テニスをしているときくらいなんです」。ちなみに、好きな作家は「綾辻行人さんや京極夏彦さん。あと、司馬遼太郎さんもすごく好きです」とのこと。
読書の幅は広く、科学系の書籍やノンフィクション、新書などさまざまなジャンルの本を読んでおり、その中から作品の着想を得ることもあるそうです。
(取材・文/熊谷あづさ)