鈴木さんによれば、山田容疑者の暴言は朝9時から外で始まり正午まで続き、午後は1時から再開し夕方5時で終わるパターンが多いという。
「雨の日も傘をさして叫んどるんですよ。雪の日も、毎日ですよ。“金返せ”とか“泥棒”とか、なぜ言われないといかんのかわからない。
夜にはピンポンの連打。電池を抜いて音が鳴らないようにしているのですが、音が鳴らないからと警察を呼ばれたこともありました。
以前、自治会長、市役所の人、市議会議員、被害者とおっさん(容疑者の夫)の5者で話し合いの場を持ったことがありました。暴言をおっさんがたしなめるということになりましたけど、守られない。2回目の協議にはおばちゃんも加わりましたが、話し合いになりませんでしたよ」
一番許せなかった暴言
解決策の合意に至らず、騒音の20年戦争は日々続いた。鈴木さんは大きなヘッドホンをつけ、音楽を流し、ひたすら暴言を我慢してきたという。
しかし、
「あれがいちばん許せん。悔しくて、腹が立って、涙が止まらなかったです」
と鈴木さんが強い口調で振り返るのは、亡き母への暴言だ。
「2階で床にふせっている母に、“バチが当たったから病気したんだ。はよ死んでしまえ”って。母は“絶対許せへん”と恨みながら他界しました」
さらに信じられない暴言を、山田容疑者から浴びせかけられたという。
「2005年7月に母が他界したのですが、母の葬儀の翌日におっさん(山田容疑者の夫)とおばちゃんがニヤニヤして来て、“バチが当たったから死んだんや”と言うたんです。葬儀の翌日ですよ!
我慢できずキレてしまって、涙を流しながら無言で山田さんの家の外にかかっているすだれをちぎってしまいました。すぐに警察を呼ばれて、その場でお金を払って弁償しました。事情を話したら警察の方も同情してくれましたけど、あれだけ人前で泣いたのはあのときくらいです」
今、山田容疑者の逮捕によって町内は、静けさを取り戻している。だがこれが、一時的なものであることを、周囲の誰もが知っている。
「今度出てきたらどうなるかわからん。余計なことは言えん」「うるさいと言うてるあなたのほうがうるさいよとは思っていました」「ここらへんの人はみんな我慢しておるよ。下手に文句を言ったら、今度はこっちに来るからな」と近所は飛び火を恐れる。山田容疑者は以前、鈴木さんの妻の職場前で騒ぎ結果的に退職に追い込んだこともある。
鈴木さんも、「出てきたらまた同じことの繰り返しだと思います……」と終結が見通せず疲労感をにじませる。
息子との面会で山田容疑者が流した涙が反省の涙かどうかいずれ明らかになる。