虐待がないケースでも、親が子どもを棄(す)てる場合、隣の赤ちゃんの泣き声がうるさい場合(隣人トラブル)、夫が妻の連れ子を厄介者扱いする場合、あるいは学校の期待にそぐわない生徒まで、児相に送り込むことが可能という。
「児相には財政的インセンティブ(誘因)があるんです。実は子ども1人を1か月、児相に入れると、35万円の単価になるんですね。それに子どもの見込み数をかけたものが、児相の年度予算になる。児相は“子どもの数と予算は比例しない”と否定します。たしかに児相の予算は半分が人口に比例していますが、残りの半分は子どもの数に比例しているんです。そうして年々、児相の予算は膨らんできています。児相の職員はある意味、ブラック企業のセールスマン。彼らが子どもたちを拉致して児相に入れることを“拉致ノルマ”と呼んでいます」(同)
虐待は警察へ一本化すればいい
たとえ、それが児相の実態だとしても、いきなり児相をなくすなんて無茶なことはできない。対案はあるのか。
「虐待も本来的には傷害事件でしょう。それは警察の分野なのです。そこへ途中から厚労省が割って入ってきた。だから、虐待は警察へ一本化すればいい。警察を持ち上げる気はさらさらないのですが、少なくとも警察は法律的なプロですからね。児相よりは専門的でマシですよ。米国は子どもの権利条約を批准していませんけれども、虐待を扱う基準が明確で、警察が担っていますので、日本よりはいいと思う」(同)
あるいは、オランダのようにきめ細かく組織をつくり上げる方法もあるという。
「児相のような施設で働くための専門学校もありますし、訓練を受けながら、一生のキャリアとして働けます。さらに、虐待の通告受理と調査をする施設、対応を判断する施設、それを実行する施設、啓発や予防をする施設など、役割や権限を分けた組織を設け、それぞれが相互に関与しながら、自治体や学校、警察、裁判所などと連携しているんです」(同)
そうした、オランダのような組織は、日本にはできないのだろうか?
「いや、本気でやれば、できると思いますよ。でも、現況のように省益を優先し、ある側面では互いが介入しないような縦割りの日本ではとうてい無理でしょうね。現在、厚労省は専門性を持たせようと、新たな国家資格をつくることを考えていますが、そうなると、また厚労省の天下り先が増えるだけ。省益拡大につながるでしょう」(同)
はっきりしているのは、このままでは悲劇が繰り返されてもおかしくないということ。この国の将来を担う子どもたちのために、さまざまな知恵を出し合って改善したい。
みずおか・ふじお◎経済地理学者。一橋大学名誉教授。経済・社会の空間理論や、社会福祉学などを研究。主な著書・共著に『経済・社会の地理学』(有斐閣)、『児相利権:「子ども虐待防止」の名でなされる児童相談所の人権蹂躙と国民統制』(八朔社)など。