まずは白鵬をいたわるべき

 さらに力士個人の胸の中にそれぞれの相撲道を抱くなら、それも否定しない。それは個人的なものである。

 相撲道は盛んに言われ始めたころ、《天皇に奉仕する優秀な武士=兵士たるべき国民の修行の道として相撲道がかかげられた》(相撲の歴史)という。成り立ちが大変危うい、取り扱いに注意が必要なものであるのだ、相撲道とは。

 相撲道の伝統の秩序というときに、そういう歴史もきちんと把握すべきである。法令順守だというなら、まずはその法令の大本をきちんと精査することは当然であろう? 

 そしてコンプライアンスとして相撲道を取り扱うのなら、21世紀の相撲道の規定をまず作るべきである。国体主義の中から生まれた相撲道なるものをあやふやなまま受け継ぎ、それをコンプライアンスの基本にするのはあまりに危うく、それこそ、社会的なコンプライアンスに引っかかるものではないだろうか。

 新田氏は前出の著書で書く。

相撲はときに『武道』という装飾をまといながらも、非常に早い時代から、実践的な闘技でも、信仰心をともなう孤独な修行の道でもなく、観客の存在を前提とした観賞に耐える技芸として成立し、洗練されてきたのである。(中略)『興行としての相撲の歴史』を一貫するものは『相撲道』ではない。(後略)》

 相撲は「格闘を競技化し様式化した娯楽としての姿」こそが真実であるという。私も新田氏のその言に同意する。

 いろいろと歴史についてなどにも触れたが、まずは横綱白鵬への称賛やねぎらい、感謝を、横綱審議委員会、相撲協会、コンプライアンス委員会は持つべきじゃないか? 今後、めったに成し得られないであろう42回目の優勝、しかも全勝優勝を34歳という横綱としてはベテランの域にある年齢で成し遂げたのだ。

 さらに「他の力士には絶対にできない」といわれるようなアクロバティックな相撲で勝って、大いに会場もTVの前をも沸かせもした。三月場所を盛り上げた一番の功労者だろうに。

 しかし白鵬、以前に同じ優勝インタビュー時に万歳三唱して物議を醸したのに、またやるの? と思った相撲ファンもいるだろう。その気持ちもわかる。しかし、やりたかったのだ、やって、あの場をにぎにぎしく華やかせ、みんなを楽しませたかったんだ、白鵬は。

 サービス精神が旺盛で、茶目っ気があり、そして、やろうと思ったら、もうやらずにはいられない。それが白鵬白鵬らしさであり、そういうところもまた素晴らしき魅力なんだと私は思っている。

 ちなみに私の周りのスー女たちは、こんな件はとっとと忘れ、31日から始まった平成最後の大相撲巡業をさっそく楽しんでいる。白鵬も巡業に参加し「令和」の垂れ幕と記念撮影をしていた。

 令和時代も白鵬、やりまっせ!


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。