しかし、5年生のときにエネルギーが切れ、中3まで不登校になる。両親はケンカばかり。そんな親と一緒にいたくないため、ただ眠ることでやり過ごした。保健室登校をすることはあったが、「何もしなくていい」と言われていたのに、課題を与えられるのが嫌だった。

 だが不登校でも、学習塾には通うことができた。

「やさしく、勉強もスポーツもできる塾の先生を見て、そうなりたいと思い、勉強は頑張りました」

 そのかいあってか、無事、高校へ進学を果たす。

「楽しい場所という感覚はないが、1度休んだらまた通えなくなるのではないかという強迫観念もあって、高校では皆勤賞でした。勉強が嫌いではないですからね。むしろ、したかった」

 中学時代とは違い、高校も大学も行き渋ることはほとんどなかった。周囲から見れば、不登校の問題から脱し、社会的な関わりができるように見えたことだろう。しかし、就職活動はほとんどせず、いまに至る。

事実上、ひきこもり状態に

「19歳から小説家になりたいと思っていました。賞に応募もして、一次選考は通過しました。就活では大手出版社を受験。一次面接に進んだのですが、東京までの交通費が出ないというので面接には行きませんでした。(編集者ではなく)物書きになりたいからです。でも、ネットで見ると、そんな人はいっぱいいる」

 働きながら小説家を目指すこともできるはずだ。

「社会に出たり働くことへの不安は強い。(父親にされたように)怒られるんじゃないかと思ってしまいます。それなら、やりたいことを最初からやったほうがいい」

 アルバイト経験はある。

「26、27歳のとき、書店でバイトをしました。文芸コーナーの担当です。しかし、賞の締め切りが近いときに休もうと思ったんですが、店長に“バイトか小説か、どっちかにして”と言われて、小説をとった。書いてさえいれば、自分のなかで(働いていないことへの)免罪符になったんです」

 ただ、1年中、書くエネルギーも集中力もない。事実上、ひきこもり状態だ。両親と話すことはない。外出は、食事をコンビニで買うときの1日3回。時折、大阪へ飲みに行く。大学時代から通う精神科で精神疾患の診断をされたことにより、障害者手帳の2級を取得。それで得る障害年金の支給のみが収入だ。足りない場合、母親に要求する。

 この先をどう考えているのか。

「応援してくれる人がいます。でも、(恩師である)塾の先生が去年亡くなって、ずっといてくれるわけじゃないとわかった。どうにかしなきゃ、とは思うんですが、原稿が進みません」