《私は人間でも一回、ダメになった人が好きなんですね。たとえば事件に巻き込まれてダメになったという人というと言葉はおかしいけれども、一回ある意味の底辺を見たというのかな。そういう人は痛みを知っているんですね》
実は、希林さんは20代のころ、悩みを抱えていたときに裕也さんに出会ったという。
「当時、人生に飽きていたのですが、彼の存在のおかげで飽きることはなくなったそうです。一緒の方向を見ている同志のような感覚を持ったんですね」(芸能プロ関係者)
ふたりの関係にも変化が
「月に1回は食事に行くようになり、お互いのことを語り合う機会が増えたそうです。どちらからともなく、“離婚しなくてよかったね”という言葉が出ることもあったみたいですよ」(同・芸能プロ関係者)
昨年12月に刊行された『一切なりゆき~樹木希林のことば~』(文藝春秋)に、そのときの気持ちが記されている。
《「あのとき離婚しなくてよかったな」という言葉を、夫からもらえるとは、思ってもいませんでした。この何十年間、無駄だったかなとも思うけれど、そういうものがあって今日の、遠慮もあり、相手を労わる気持ちもあり、尊重もし、なかなかいい状態の関係になれたんですよね。こういう夫婦の形もありかなと思います》
裕也さんも'14年12月に刊行された『ありがとうございます』(幻冬舎)で、妻への感謝の思いを語っている。
《73年に結婚し、まもなく別居してから養育費を入れたこともないけど、1人で立派に也哉子を育ててくれた。プライベートも仕事もさんざん好きなことをやってこれたのは希林さん、あなたのおかげ。本当に感謝している。オレもまだまだ頑張るぜ。ロックンロール!》
両親の葬儀で也哉子が読んだ弔辞を、芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、
「どちらの弔辞も名文だと思います。1つの作品のようで、読んでいて引き込まれていきました。希林さんのときは、母を語るためにまず父の裕也さんのことに触れました。也哉子さんにとって、2人は絶対切り離して語ることができない存在なんでしょう」
今回、裕也さんへ読んだ弔辞には本当に伝えたかった“メッセージ”があるという。
「也哉子さんは裕也さんの存在をどうとらえたらいいのか長い間ずっと考え続けていたんでしょうね。父親に対する戸惑いが情念と化して言葉になった感じがします。
一方で、それは裕也さんの叙事詩でもあるような気がしました。彼女は裕也さんに対して、最後の最後に“やっとあなたを受け入れる決心がつきました”と伝えたかったのではないでしょうか」(佐々木氏)
父と母の思いはきっと娘に受け継がれることだろう。