幼いころから負けず嫌い
愛が「ウィッシュリスト」を叶えるために意識しているのは『5つの力』。アスリート時代から大切にしてきた“自分ルール”でもある。
「選手時代、“ひとりでは何もできない”ということを痛感しました。周りのサポートや応援を受けながら、自分の願いを周囲の幸せな笑顔とともに叶えていく。そういう意味で『コミュニケーションの力』。自分が求める状態を具体的に『イメージする力』も夢を叶えるには必要です。
それから、なりたい自分をイメージしながら行う呼吸法など『ルーティンの力』、興味を持ったらとにかくやってみる『行動力』、何事もワクワク取り組む『楽しむ力』も欠かせませんね」
身長161センチとテニス選手としては小柄ながら、グランドスラムのシングルス連続出場62回の世界記録を樹立し、“テニス界の鉄人”と呼ばれた愛。しかし、そのアスリート人生は決して順風満帆ではなく、栄光の陰にはすさまじい努力があった。
愛は、1975年7月5日に横浜市で誕生。5歳のとき、歯科医の父・忠正が開業するため家族で茅ヶ崎市へ引っ越す。
母・芙沙子さんは、幼いころから愛は“とても負けず嫌い”だったと話す。
「家族でトランプ遊びをしても、負けると“もう1回!”と言って勝つまでやめません。何度か負けが続くと身体中を震わせて悔しがる。本格的にテニスを始めてからも自分よりシードが上の選手に当たり、負けてしまうと悔し涙を流していました。でも“勝ちたい!”という強烈なモチベーションがなければ、あそこまで頑張ることはできなかったでしょうね」
小中学校を過ごした湘南白百合学園では、勉強でも負けず嫌いを発揮した。テニススクールを終えた母のお迎えの車の中で夕食をすませると、夜10時から勉強に精を出し、成績もトップクラスだったという。
しかし15歳5か月で世界ジュニアランキング1位になった愛は、より自由な環境を求めて湘南工科大学附属高等学校体育コースに進学。
同級生の時田貴子さんは、こう振り返る。
「入試の当日、ベージュのピーコートを着ている派手な子がいて“制服じゃないから絶対落ちる”と思っていたら、それが愛ちゃんでした(笑)。
遠征が多いからあまり学校に来られなかったけど、たまに来ると可愛いから男の子たちにいつも囲まれていました。練習のない日にケーキの食べ放題に2人で行ったのも懐かしい思い出ですね。夢中でショートケーキをペロリと10個平らげていましたよ。プライベートで遊ぶときはテニスの話は一切しませんでしたね」
やがて高校2年でプロに転向。当時、日本でプロのテニスプレーヤーになれるのは、毎年1人か2人という狭き門だった。