検察が冒頭陳述で明らかにした「死亡する直前の食事を与えない」「トイレに行かせない」「寝させない」といった虐待の数々は、まさに拷問。それを母親であるなぎさ被告は、見て見ぬふりをしていた。
なぜ、なぎさ被告は愛娘でなく鬼畜夫の側に立ったのか。
裁判を傍聴した千葉市在住の男性(33)は、
「娘に対する謝罪はなく、後悔、懺悔が感じ取れず、母親としての責任を放棄しているとも思いました」
多くの裁判取材をしてきた全国紙社会部記者も、
「謝罪の言葉が出てくると思っていたのですが、それがまったくなくびっくりしました」
と、あきれ果てる。
検察官から「心愛ちゃんに何か言うことは」と問われても、裁判官に「お母さんらしいことをしたことで覚えていることは」「心愛ちゃんの叫びは聞こえなかったか」「最後に言っておきたいことは」と言葉を向けられても、なぎさ被告はただ無言。
証人として出廷したなぎさ被告の実母は、勇一郎被告の印象について、
「礼儀正しい人だった。話が上手でニコニコしていた。長女を出産してから悪い印象に変わった」
と証言。それに伴い、なぎさ被告の様子も、
「子育てができないと泣いて怯えていた。何をするにも怖くて、ずっと怯えている状態。よく泣く子になった」と変わりようを証言。娘と孫を守りたい一心で、実母は離婚を助言した。2011年10月、夫婦は離婚したのだが……。
勇一郎被告との関係
「沖縄の両親と暮らしていたのですが、いつの間にか家を出て、勇一郎と再婚していた。実母の証言によると、なぎさから“再婚した”という報告はなく、なぎさの父が偶然2人が一緒にいたのを見て、再婚したことを知ったそうです。
'16年6月、なぎさから勇一郎に“元気ですか”とメールを送ったことから再接近したそうです。勇一郎への気持ちがあったから再婚したとみられます」(前出・社会部記者)
'17年、なぎさ被告は入院していた病院を勝手に抜け出し、勇一郎被告の故郷、千葉県野田市に生活の拠点を移した。なぎさ被告にとっては友達も知り合いも誰ひとりいない土地。沖縄の家族や友人の連絡先をすべて消去し、母親に電話さえかけなかった。理由を弁護人に問われると、
「私たちの家族の居場所が知られると、旦那に叱られると思ったからです」
勇一郎被告の監視下、制御下になぎさ被告は組み込まれ、会話する相手は家族だけ。