それでも橋本さんは少しずつ、彩豪関の思いを受け継いで動いていこうと思っている。すでに、迷いながらも動き始めている。
「彩豪関は特別な人です。僕には愚痴をこぼすこともありましたが、それでも誰のことも見捨てないで、必ず一緒に進んでいく。『オレは腹黒い人間だよ』なんて悪ぶって言うこともありましたが、そんなのもう、ぜんぜん真逆です。葬儀に来てくれた人の数を見れば、いかに彩豪関に人徳があったかがよくわかります」
今もどこかで隠れて見ているのでは
今年の『さいたま場所』は、これまで使っていた体育館が改修する関係で、いったん、休むことが決まっているが、橋本さんは「また再開させたい」と意気込む。彩豪さんと計画していた巡業は、それだけではない。橋本さんが続ける。
「昨年、彩豪関と喜界島に行ったのは、2021年に巡業をやろうという計画があったからでした。彩豪関に『たかおちゃんがやればいいじゃん?』と言われたのですが、まだノウハウがない僕は『やりたいけど、無理だと思う』と言ったんです。そしたら『やるか、やらないかだよ。ちゃんとやれば、みんなが協力してくれるよ』って彩豪関が言ってくれたんです。
小野津小学校は自分が通った学校で、裏はすぐ海。とてもいい環境です。体育館もあり、学校の建物が宿泊所になっていて、調理場やシャワーもある。校庭の土俵を直し、屋根を建て、そこで巡業が開けたら……。それに向けて今すぐに動き出すには難しいことも多いかもしれませんが、探り探り、関東近辺の土俵築から少しずつやっていけたら、と思っています」
橋本さんは「彩豪関に試されてるような気がします。今もどっかに隠れて見ているんじゃないか? って」と言う。
五月場所の初日前日、彩豪さんの事務所には毎回恒例となっている、相撲の開催を告げる「触れ太鼓」がやってきた。いつもは彩豪さんがお願いをして来てもらっていたが、この日は呼出しさんたちからの申し出で、来てくれたのだという。
「本当はおめでたいものなんですが、みんなで泣いて、泣いて……」
彩豪さんの遺影の前で弾かれる太鼓の音色は、みんなの涙を誘った。
十両力士・彩豪。本名・墨谷一義。享年43。相撲を愛し、相撲のために、そして家族のために生きた。出会う人みんなを愛し、愛された人。どうぞ天国でゆっくりとお休みください。そして、いつまでも相撲を高い空の上から見守っていてください。
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。