旅をする気分で
読んでもらえたら
ふたりが旅する場所の多くは、自身の記憶や資料をもとに描いているそうだ。一方では、この作品を書くために実際に訪れた町があるという。
「私がアメリカ旅行をした30年前と今とでは、グレイハウンドは絶対違っているはずだから乗っておこうと思って。
目的地はどこでもよかったのですが、とあるコンサートを目当てにテネシー州のナッシュビルという町に行くことにしたんです。その結果、礼那と逸佳もナッシュビルを訪れることになりました(笑)」
礼那がナッシュビルで食べたワイルドベリーラヴェンダーのアイスクリームや好物のリースチョコレート、ほかの町で食べた揚げ菓子のファネルケーキといったお菓子は、江國さんが実際に味わったものだという。
「留学していたときにフィラデルフィアの球場で出あったファネルケーキがすごくおいしくて。帰国するときには、スーパーでファネルケーキのもとを山のように買って帰りました。中にピーナッツバターが入っているリースチョコレートも大好きなお菓子なんです。
ふたりは子どもなのでお酒を飲めないし、高価なレストランにも行かれないし、食べる物のバリエーションがどうしても少なくなってしまうんですね。それだけに、この作品では私の食いしん坊なところが役に立ちました(笑)」
旅行をきっかけに、礼那と逸佳はもちろん、周囲の人間も変わっていく。特に、礼那の両親には如実な変化が表れる。
「礼那と逸佳は家出をしたわけではなく、最終的には旅を終えて帰ってきます。でも、ふたりが旅をすることで、関係者全員になんらかの影響が及ぶはずですから。その変化も書きたいことのひとつでした」
礼那の母親の理生那(りおな)は、ふたりが旅立った後、教会に足しげく通うことで本来の自分自身に気づいていく。
「家庭の中では、妻とか母とか、姉とか妹とか娘とか、会社員なら上司とか部下とか、いろいろな役割がありますよね。そうした役割をはずすのはわりと難しいことだと思うのですが、理生那は教会という場所で本来の自分になることができた。理生那のように役割をはずした個人を持てるかどうかで、人はすごく変わると思うんです」
江國さんは『彼女たちの場合は』を、旅に出るような気持ちで読んでもらえればと語る。
「さらに、もしできるならば、妻とか母といった役割から離れて、本来の自分として、ふたりの旅を目撃してもらえたら、とてもうれしいです」
ライターは見た! 著者の素顔
江國さんが“本来の自分”になれるのは、本を読んでいるときとピアノを弾いているときなのだとか。「50歳になってから、3度目のチャレンジでピアノの練習を始めたんです。毎日、1時間、楽譜を見ながら好きな曲を弾いています」。さらに、1日の過ごし方も教えてもらいました。
「午前中はお風呂に入りながら本を読んでいて、1日に1時間はピアノを弾いていて、夜はお酒を飲んでいるので。最近は小説を書く時間がちょっとしかないんです(笑)」
●えくに・かおり●1964年生まれ。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で第15回山本周五郎賞、'04年『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞、'07年『がらくた』で第14回島清恋愛文学賞、'10年『真昼なのに昏い部屋』で第5回中央公論文芸賞、'12年『犬とハモニカ』で第38回川端康成文学賞など、受賞多数
(取材・文/熊谷あづさ)