受け継がれる大住の精神

 仙台に住む小野ことみちゃんは、小学校5年のときに小児がんの手術を受け、その後ウィッシュ・バケーションを経験。仙台の病院に戻ると、こんなことを言いだした。

「入院している小さな子たちに何かプレゼントしたい」

 母親の孝子さんは驚きつつも、娘の変化がうれしかった。

 クリスマスの日、ことみちゃんは、がん治療で髪の毛が抜けた子どもたちに約50個の帽子をプレゼントした。

 その日から約6年、ことみちゃんは高校3年生となり、看護学校で学んでいる。

「大住さんの活動を経験したことで、将来はいろんなボランティア活動をしたいと話しています」と孝子さん。その成長は、母にも眩しいほどだ。

 沖縄でも、大住のNPOに賛同し、難病の子とその家族の旅を引き受けるホテルがある。『カフー リゾート フチャク コンド・ホテル』だ。代表の田中正男さんは言う。

「大住さんの難病支援にかける情熱が素晴らしかった。人柄に惚れたところからホテルのCSR(企業の社会的責任)活動としてボランティアを始めました。今ではスタッフが自主的にチームを作り、難病の子どもをもてなす方法を考えています」

 設立初期から大住の活動を応援してきた聖路加病院小児科医の細谷亮太さんは「大住さんはお金持ちでもないのに続けるのが偉い」と笑う。「難病にかかった子どもと家族には、大住さんたちが企画する天国のような日が必要なんです。本人と家族にとって、一緒に旅行した思い出は宝です」と言う。

 NPOでは、ウィッシュ・バケーションへの招待を希望する家族に前もって病気の状態と家族の関係を書いてもらう。「なるべく絆が深い家族を招待したい」と大住は言う。

「多くの家族の姿を見させていただいて、家族って何、命って何、その本質を教えてもらっています。ぼくらに病気は救えないけど、“当たり前の尊さ”を社会にも広めたい。どの家族にも、こちらから“ありがとう”を言いたいんです」

 振り返れば日本のボランティア活動は'95年の阪神・淡路大震災のときにNPO法ができ、多くの団体が生まれた。それらが大活躍したのが2011年の東日本大震災だ。

 だが、それは非常時の活動。平時のボランティア活動が広まり、定着するのが今後の課題といわれる。2020東京オリンピック・パラリンピックでは、8万人の大会ボランティアと3万人以上の都市ボランティアが活動し、各自治体や町内会、企業、学校、あるいは個人でもさまざまなボランティア活動が生まれるはずだ。こんな機会はまたとない。大住は言う。

「欧米では日曜日に“今日は家族でボランティアしよう”と言って楽しい休日を過ごします。日本でもそういう文化が生まれてくるはずです」

 まさに平時のボランティア元年。静かな革命が、いままさに進行中だ。

東京五輪ボランティア希望者たちの面談を連日開催している有楽町の会場。制服姿の高校生から高齢の人まで、さまざまな世代の応募者が見受けられた 撮影/伊藤和幸
東京五輪ボランティア希望者たちの面談を連日開催している有楽町の会場。制服姿の高校生から高齢の人まで、さまざまな世代の応募者が見受けられた 撮影/伊藤和幸
【写真】難病の少女家族を全力でもてなす、人力車の若手スタッフほか

取材・文/神山典士(こうやま・のりお)ノンフィクション作家。表現者、アウトローをテーマに多分野の人物を追う。2014年「佐村河内事件」報道で大宅壮一ノンフィクション賞、日本ジャーナリズム大賞受賞。著書に『知られざる北斎〜モネ、ゴッホ、忠正、鴻山とその時代』、『カプリチョーザ物語』など