東京・八王子城跡
北条氏の怨念が今も残る地
八王子城は小田原城を支えるための枝城だ。北条氏照が前出の滝山城に脆弱性を感じて、本拠をここに移した。
「取材で八王子城を巡っていると、同行していた友人の様子がおかしくなってしまいました」
と松原タニシは、以前この場所を訪れたときを振り返って話し始めた。友人は這っているカタツムリやキノコを見て「美味しそう」と言ったり、「何か食べなくちゃ……何か食べなくちゃ……」とつぶやいたりしたという。
「八王子城は豊臣軍に攻められて領民3000人が立てこもりました。兵糧攻めもあったので、たくさんの餓死者も出たと思います」
餓死者は死後、餓鬼、ヒダル神と呼ばれる妖怪になるという伝承がある。道行く人に強烈な空腹感をもたらす悪鬼だ。松原の同行者も悪鬼に祟られてしまったのだろうか。
実際に八王子城跡に足を運んだ。八王子城の周りに建てられている道や橋は、近年になって造られたもの。コンクリート製の丈夫できれいなものが多い。敷地内にある構築物も多くはレプリカだ。ただ、本丸周りの石垣は当時のものを利用して造られた再現度の高いものだ。砕石で造られた荒々しい階段を上る。合戦の際は、おそらくたくさんの血が流れたであろう道──。
城へ入る門の部分では、撮影していると生首らしきものが写るなど多くの心霊現象が報告されている。松原も深夜に撮影をしていると、いきなり懐中電灯が壊れてしまい、真っ暗闇の中、立ち往生してしまったという。
城のあった場所には、当時の敷石が残るだけになっている。資料によると、北条氏照は非常に贅沢な暮らしをしていたそうだ。中国やベネチアから輸入された食器で、領国内でとれた海産物を食べていたという。しかし、落城の際には一気に地獄へ叩き落とされた。
城の近くには『御主殿の滝』という滝がゴウゴウと流れている。そこには看板が立てられ、当時の様子が描かれていた。
1590年に落城した際、将兵、女子どもが自刃して身を投げたといわれている。その血で城山川の水は3日3晩赤く染まったという言い伝えが残っている。城主である北条氏照は兄とともに切腹した。
一説には、あかまんま(赤飯)を炊いて、先祖供養するのは、この史実がもとになっていると言われている。
静かで美しい自然の中にある城跡の秘めた凄惨な過去を知り、その場を散策しながら怯えた。