本来ならば除幕式だったはずの当日朝、ツアーの参加者、報道陣など50名ほどの前で、黒田は除幕式が開催できなくなったことを話した。
そして、会を締めくくろうと思ったとき、泗川市の観光課課長が思わぬ言葉を発した。
「警官隊が先導して、除幕式ができるように配慮するとのことです」
一行が会場に出向いてみると、そこは警官隊や光復会、韓国側の報道陣でごった返していた。
韓国政府からは勲章を授与
黒田の密着取材をしていた南日本放送の記者だった上村隆一郎さん(46)が言う。
「反対派の人たちは約50人くらい。みんな太極旗が染め抜かれた鉢巻きをして、抗議のシュプレヒコールを繰り返していました。警官隊が先導してくれる様子などまったくありませんでしたね」
黒田と参加者の一行は、慰霊碑前に陣取る光復会を取り囲む警官隊のところまでたどり着いた。そこで一行は頭を垂れ、両手を合わせた。
「韓国では“反日カード”を掲げた団体が出てくると、彼らの行動を戒めたり、批判したりすることが誰もできなくなるというのは本当でした。
1時間くらい後、会場に戻ると、誰ひとりいなくなっていました。あの争乱が嘘のようでしたね。そこで、私たちだけで除幕式を行いました」
「はめられたかもしれない」と思ったこともあった。
「日本からの訪問団と光復会の対立する場面を公にしたい、メディアに晒したいという何者かの意図があったのかもしれません」
騒動の後、碑は撤去され、泗川市内の寺に一時的に保管。'09年10月、龍仁市の法輪寺境内に移された。
'11年5月、黒田は韓国政府から勲章を授与された。
「長年の日韓友好の功績が認められたのですが、祈願碑をめぐる騒動に対する韓国政府のせめてもの慰めに思えました。真実はわかりませんけれど」
'12年3月、韓国の国営放送局KBSで『朝鮮神風 卓庚鉉のアリラン』という番組が放送された。黒田たちが巻き起こした慰霊碑にまつわる騒動がヒントになったことは間違いない。
黒田にも出演依頼があった。言いたいことは山ほどあったが丁重に断ったという。
番組の最後に、法輪寺に再建された帰郷祈願碑の姿が映し出された。それを光復会は見逃してはくれなかった。放送後、抗議文をテレビ局、法輪寺などに送りつけたのだ。