法輪寺に安置された当初、祈願碑は建てられていた。左は住職の鉉庵さん。オブジェは八咫烏(中国古代の想像の鳥)をあしらった
法輪寺に安置された当初、祈願碑は建てられていた。左は住職の鉉庵さん。オブジェは八咫烏(中国古代の想像の鳥)をあしらった
【写真】建てられた祈願碑と、執拗な抗議で半分埋められた祈願碑ほか

 黒田は再び光復会とたったひとりで話し合いを行った。

「あなたたちの親兄弟や親族にだって、日本名を名乗り、そして日本軍属になって亡くなった方がいたかもしれない。そういう人を慰霊してあげたいと思いませんか」と言ってみても、「ああ、いたかもしれないが、関係ない」とまったく聞く耳を持たなかった。

「このときがいちばん悔しかった。せっかく法輪寺に再建できたというのに。あんなに涙が止まらなかったことはなかった」

「この石碑は寝ていても意味がある」

 その年の冬、石碑は撤去解体された。基壇の上に八咫烏の彫像だけがじかに置かれ、碑文の書かれた本体は半ば地中に埋めた形になっていた。

 現在、日本と韓国の関係はこれまで以上に冷え切っている。徴用工問題、従軍慰安婦問題、そして最近では、日本の輸出規制に対する猛反発……。韓国の異常なまでの「反日感情」。しかし一方で、韓国のこうした対日強硬策が起きると大統領支持率は上昇する。

 前出の黒田勝弘さんは、こう解説する。

「1945年の開放時の韓国社会で40代以下は日本統治下で教育を受けた人たちでした。だから、開放時の韓国人はほとんど“日本人”でした。それが突然、急いで韓国人に戻らなければならなくなった。そこで、国家、社会を挙げての日本否定キャンペーンが始まった。朝鮮人特攻隊は植民地時代に日本に協力した親日派という解釈。だから、慰霊碑の件はハラハラしながら見守り、福美さんの真摯な思いと行動力に感動していました」

 黒田は、この事件を通じて「歴史に一石を投じている」感覚はいつもあったと言う。

「日本人兵士として命をなげうった青年たち、その時代を生きた人たちは、今日の韓国を築く礎でもあったのです。このことを現代の韓国人はどう解釈し、向き合うのか、 問題提起することになるんです」

 ある韓国の歴史学者が黒田に言った。「この石碑は立っていても意味があるけれども、寝ていても意味がある」と。

「私は石碑を立たせることにもう執着はない。むしろ、この寺に横になってい続けることが韓国人の心に潜む矛盾に“それでいいのか”と問い続けることになる。石碑の問題と今起こっている問題は、決して切り離されたものではない。だから、これはもう後世の人たちのものなんです」

 毎年、帰郷祈願碑の法要に参加し、黒田を手伝っている藤川由美さん(57)は、

「私が福美さんの祈願碑活動に心寄せた理由は、取り憑かれたように活動をしている彼女に理屈抜きに引き寄せられたから。これからも日韓の融和に祈願碑が一役も二役も買うことを心から願います」