「家内に葬式をあげる煩わしさを味わわせたくない。自分ですませておけば、本当に死んだときにやらなくてもいいじゃないですか。葬式らしい形でもよかったんですが、まあ50年間、歌ってきたのでステージをそのまま葬式にしちゃおうと生前葬コンサートを思いつきました」
そう語るのは、『シクラメンのかほり』『愛燦燦』など数々のヒット曲で知られるシンガー・ソングライターの小椋佳さんだ。
“人生完結したな”
2014年9月、東京・渋谷のNHKホールで4日間に及ぶ『小椋佳 生前葬コンサート』を行った。70歳だった。
「毎日違う曲で全100曲。緊張も特別な思いもなく、いつもどおりいいステージにしたいと思っただけ。ただ、4日間終わって“人生完結したな”という思いはありましたね。生ききったというか。神田紘爾(本名)の人生は十分満喫したなと。だから、コンサート終了の翌日に死んでいれば、いちばんよかったんだろうけどね(笑)」
生前葬コンサートの準備は前年から。まずは、自らが作った2000曲以上の楽曲から、100曲をセレクトした。
「悩みはしなかったけど、時間は1か月ほどかかったかな。セットリストが決まってから、それぞれの曲のエッセイの執筆を始めました。僕は日記をつけているヒトなので、作った歌の当時の日記を読みながらね」
NHKホールは、小椋さんが'76年に初めて公に姿を現した場所。以来、ツアーの初日か最終日には必ずそのゆかりのステージに立ってきた。
「通常は2日間しか貸さないそうですが、粘りに粘って。4日間満席だったけど、興行的には儲かりはしなかった。かかる経費が膨大でしたから」
かつて小椋さんはバリバリの銀行員の傍ら、シンガー・ソングライターとして活躍する異色の存在だった。
東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(のちの第一勧業銀行、現・みずほ銀行)に入行。
「高校の終わりから歌は作り始めてはいましたが、大学に入ってから“何か創作活動をしなくちゃいけない”と焦り、いろんなことをやりましたよ。小説を書いたり、絵を描いたり。でも全然ダメで。挫折ですよ。何をやっていいかわからなかった。銀行に入ってからも、芸術の世界で活躍する人たちと友達になったり、ミニコンサートのようなことをやったり。人の音楽活動の演出台本を書いたりもしましたね」
そんなある日、ラジオで披露した歌がきっかけで劇団『天井桟敷』のレコードに歌手として参加。その歌声がレコード会社のプロデューサーの耳にとまる。そして'71年、『しおさいの詩』(B面は『さらば青春』)でシングルデビュー。その甘い歌声と繊細な曲が人気を集めるように。