琵琶湖の南端・ 大津から車を走らせること30分。高速を降りると、愛嬌(あいきょう)たっぷりの狸(タヌキ)の置物が列をなして出迎える光景が、訪れる者の心を和ませる。
ゆったりと流れる大戸川の向こうで、青々と茂る稲穂がそよぎ、蛙の啼(な)き声がこだまする景色は、まさに日本の原風景そのもの。この信楽(しがらき)は六古窯のひとつに数えられる日本古来の焼き物の故郷。
ここに陶芸家・神山清子(83)の穴窯がある。
苦しみと悲しみの中で生まれた
清子は『寸越窯(ずんごえがま)』と名づけた穴窯の前に立つ古民家の縁側で待っていた。
小柄だが83歳とは思えないしっかりとした足取りでわれわれを寸越窯へと誘(いざな)う。
窯焚きが始まると、焚き口に座って何日も寝ずに火の番を行うが、今は信楽に暮らす生き物たちの憩いの場所でもあるようだ。
「山から狸だけでなく、猿や鹿、兎や猪もやってきて窯で暖をとり、餌をねだるんよ」
取材に訪れたその日も、清子は仕事場で器をこしらえていた。ろくろを使わず手びねりで瞬く間に仕上げていく。BGMは軽快なJAZZだ。
「歌ものは歌詞に気をとられるからあかん。リズムが大事」
陶器を包む手は大きく、その動きに迷いはない。
「家族5人、荷車を押して信楽にやって来た日のことを昨日のことのように覚えとる。この家も父がこしらえたんよ」
見上げると、緋色(ひいろ)の屋根の上で小鳥が初夏の日差しと戯れていた。
縁側はもとより、清子の暮らすこの古民家にはおびただしい数の茶碗や花瓶、大壺が無造作に置かれ、われわれの目を楽しませてくれる。
太古の昔、このあたりは琵琶湖の水底。古い琵琶湖の水が干上がり質のよい粘土が生まれ、土の中の鉄分が赤く発色することから信楽焼の特徴といえる「緋色」は生まれた。
「緋色」は、窯の中で燃える「火の色」でもある。
50年ほど前に自ら窯を築き、ツヤを出す釉薬(ゆうやく)を使わずに高い温度で陶器を焼き上げる「信楽自然釉」という製法を甦らせた。清子の作品が注目を集めるや世間の目が変わり、祝福の声に包まれた。
清子と交流の深い新潟県枕崎市『木村茶道美術館』の石黒信行館長(69)はこう話す。
「清子さんは執念の人。とにかく粘り強い。窯焚きが始まると食事の時間も惜しんで、山に生えている野草やキノコを食べ、飢えを凌ぎ炎と格闘していました。今でこそ自然釉を取り入れる作家も増えてきましたが、当時としては画期的な出来事。まさにパイオニアです」
9月30日からスタートするNHK連続テレビ小説『スカーレット』は滋賀・信楽を舞台に、男性ばかりの陶芸の世界で奮闘する女性陶芸家が描かれる。
まさに女性が窯に入ることが許されない時代、独自の作品を生むことに挑戦し、弟子を愛情深く育てた清子の姿も物語の参考にされたという。
「私の自然釉薬は、苦しみと悲しみの中で生まれたのよ」
と言って清子は微笑む。
焼き物の故郷に迷い込んだわれわれは、縁側で清子の波瀾万丈の生涯に耳を傾け、時を忘れた。