自殺を考え、夜の街を彷徨う
「私が展覧会で入選するようになってから夫はたびたび家を開け、私にテレビの取材が来ても勝手に断ってしまう」
諍いが絶えなくなり、清子に手を上げようとした夫の前に息子の賢一が立ちはだかり、
「僕は母さんと姉ちゃんとでがんばる。父さんいなくてもいい!」と言い放った。
夫の不貞は狭い田舎町で知らぬ者もいない。恥ずかしさと情けなさで生きていく心地もしなかった清子は何回も自殺を考え、夜の街を彷徨い続けることもあった。やがて食べるものすらなくなった清子と2人の子どもたちは、庭の畑でとれる野菜などで飢えを凌ぐしかなかった。
「お母さん、もうお父さんのことは忘れて仕事をして」
そんな娘・久美子の言葉にも救われた。
─私には、寸越窯がある。
釉薬を使わずに自然の美しい色を醸し出す古の信楽焼を甦らせる夢もある。向かい風が強ければ強いほど闘志を燃やしてきた幼い日々が、ふと清子の脳裏をかすめた。電気釜で食器を焼き糊口をしのぐ一方、清子は暇を見つけては信楽の山を歩いた。
「焼き物は土が命。掘り出した土を何日も天日で乾かし、土に混じった石を1粒1粒、取り除き、木槌で細かく砕いて手で練り、最低でも1年は寝かせなあかん。寝かせることによって土に粘りが出てくるんよ」
機械や釉薬はもちろん、ろくろすら使わず「手びねり」で生み出す清子独特の作り方は、中国の古代の焼き物からヒントを得たまさにオリジナル。
これこそ古の信楽焼。そう信じて疑わなかったが、肝心要の土が見つからない。
そんなある日、12歳になった息子・賢一が青く深い緑色の溶け込んだ陶器の破片を拾ってきた。
「日が差すとエメラルドグリーンの光を放ち、ビードロのような輝きを放つ。まさに古の自然釉の色。その石が、かつて父が持っていた裏山から出るとは、まさに灯台下暗しやね」
と頬を緩める。だが、古の信楽焼を甦らせる清子の夢への挑戦はここからが正念場である。
「窯の温度、焚く日数、焚き方、あげくには窯も築き直してみたものの、思うような色が出ないまま4年の歳月がたっとった」
清子は子どもたちが寝つくと、過去の失敗を記した「窯焚き日記」を繰り返し読み、失敗の原因を探り眠れぬ夜を過ごす。
「薪を買うお金すらなくなり、今度できんかったら出稼ぎに行くしかない……」
切羽詰まった思いを胸に、清子は穴窯に薪を投げ込み、焚き口から炎を見つめた。赤黒い炎がやがて黄色と白色が混じったものに変わり、轟々と音を立て窯いっぱいに火が渦を巻く。
─16日間、1200度に保ち窯を焚き続ける。
これが「窯焚き日記」を目を皿のように読み返した末に導き出した結論。しかし、またもアクシデントに見舞われてしまう。