「木上さんの遺伝子を受け継いだ若い人たちはもちろん、木上さんのような天才アニメーターが亡くなるなんて、日本どころか世界のアニメ界の損失ですよ。可愛がってもらった僕としては、……地獄でした」
そう声を詰まらせたのは、フリーの原画家の奈須川充さん(60)。『らき☆すた』、『けいおん!』や『涼宮ハルヒの憂鬱』のヒットで知られる「京都アニメーション」の取締役だった木上益治(きがみ・よしじ)さん(享年61)のかつての後輩だ。
7月18日、京アニのスタジオにガソリンをまき放火し、36人の犠牲者を出した青葉真司容疑者(41)は、自身も大ヤケドを負い入院中。
その後、意識は回復して話すトレーニングなどを受けているが、3か月がたとうとしている現在、退院や逮捕の見込みはないという。
そんな前代未聞の事件のなかで、とりわけ、その死を惜しまれていたひとりが最年長の木上さん──。
一般的には知られていなかった木上さんだが、実はスタジオジブリの宮崎駿監督や故・高畑勲監督に比肩するほどの天才アニメーターで、その死を悲しむ関係者は多い。
『怪物くん』『ドラえもん』『AKIRA』など、アニメファンではなくても、その名を知る作品に数多く携わってきた。
専門学校を1年で中退し「シンエイ動画」へ
木上さんは1957年、大阪府に生まれ、高校を卒業後、2年間働いてお金を貯め上京。専門学校の東京デザイナー学院の門を叩いた。
「木上くんは実家には頼っていませんでしたね。ガソリンスタンドでアルバイトをしながら学校に通っていました。
千葉の中山競馬場の近くに学校の寮があり、6畳の部屋に2段ベッドが2つあって、彼と僕がアニメ科でお互いにおとなしい性格だったので、ウマが合ったのかな」
と振り返るのは当時の同級生で、現在は静岡県に住む渥美敏彦さん(59)。
ただ寮は狭く、翌年から学校の場所も変わるので、東京の杉並区にアパートを借りて同居することになったという。
「僕が静岡の実家から小さな白黒のテレビを持ってきたら、木上くんはものすごく研究熱心でした。
NHKの『未来少年コナン』を真剣に見て、コナンがジャンプしたり走ったりする姿を見ては、“すごいな!”と感心していました」(渥美さん)
同居生活は2年にも及ぶことになったが、木上さんは同専門学校を1年で中退。
現在、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』を制作している「シンエイ動画」の募集広告を雑誌で見つけて応募したところ即、採用されたからだった。
「天才のうえに努力家ですからね。僕はこういう人がアニメを作るんだろうなと思い、実力の差を感じてしまって、その道は諦めて静岡へ戻ったのです」(同)
しばらく続いていた交流は途絶えてしまったが後年、渥美さんが自身の子どもと一緒に『ドラえもん』や『火垂るの墓』を見たとき、エンドロールに木上さんの名前を見つけて、
「この人とお父さんは昔、同居していたんだよ」
と誇らしげに自慢したとか。