彼女の子ども時代は、とても「普通」だったといいます。

「私が家に入ったのは、2歳8カ月のときです。父、母、私の3人暮らしで、何も知らず、本当に“普通の子ども”という感じで育ってきました」

 彼女が養子であることを知ったのは、1年ほど前です。結婚前、両親が娘夫婦の新居を見たいと言って彼女の住む町に出てきたとき、宿泊先のホテルに呼ばれて、話をされました。

「夫と付き合っていることもあまり話していなかったので、もうちょっと考えなさいとか、なにか小言を言われるのかと思ったんですよ。そうしたら『実は養子だった』という話で、もうびっくりです。青天の霹靂という感じですよね。でも、そう言われて納得する部分もあったといえばありました」

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 例えば、親は直毛なのに、自分だけ癖毛であること。子どもの頃、「どうして私だけ癖毛なの?」と尋ねると、「(当時あまり会う機会がなかった)父方のおばあちゃんがそうなんだよ」と言われて納得したものの、「晩年のおばあちゃんに会ったら、きれいなストレートヘアだった」ため、疑問が残っていました。

 それから、周囲の子たちと比べて母親の年齢が高かったこと。授業参観のときなど「母だけみんなのお母さんより年齢が上」であることを感じていました。計算では母親が30代半ばの頃に彼女を産んだことになりますが、20年前、周囲には多くありませんでした。

 親に病院へ連れていかれ、物心がついてから血液型の検査をしたことも。当時は「なんで今、検査するんだろう?」と思っていましたが、出生時の記録がなかったのであれば、なるほどと思えます。

 ほかにも思い返してみると「私が養子だったからなのか」と得心がいくことも、いろいろとありました。

 そもそも両親がこのタイミングで、養子であることを彼女に告げたのは、なぜだったのか。

 それは、戸籍謄本を見れば、千秋さんが養子縁組をしていることがわかるからでした。普通養子縁組は子どもの続柄が「養子」と記載されるのに対し、特別養子縁組は「長女」「次男」などの表記になるので、戸籍を見ても養子とはわからないと思われがちですが、実はそうではありません。

 本籍地ではない場所で結婚届を出す場合には戸籍謄本が必要になるのですが、特別養子縁組の場合、「民法817条の2による裁判確定日」として、縁組が成立した日付等が戸籍謄本に必ず記載され、養子だとわかるのです。

「もどかしい」けれど、知ってよかった

 養子に限らず、大人になってから「親と血縁関係がない」など出自にかかわる事実を知った人のなかには、長い間だまされていたと感じ、怒りや悲しみを覚える人も少なくありません。でも千秋さんの場合、「養親に対して感謝の気持ちを強く感じた」といいます。