暴君として知られるローマ皇帝、カリギュラを描いたカミュの戯曲に、菅田将暉さんが挑戦! 最愛の妹を失った絶望から残虐さを加速させるカリギュラに、変わらぬ愛を捧げる愛人・セゾニアを演じるのは、ベテラン女優の秋山菜津子さん。
栗山民也さんの的確な演出を受け、「いろいろなことがわかり始めて、ますます面白くなってきた」(菅田さん)という稽古場を訪ね、ふたりを直撃した。
俳優は月を欲しがる
──まず、この戯曲をどう感じましたか?
菅田 読んでみたら意外な発見がいっぱいあって、すごく面白かったです。滑稽で、ユーモアもあるし。カリギュラは極悪非道という表面的なイメージが先行していますけど、すごく共感できるんですよ。
秋山 私もカリギュラ=暴君、みたいなイメージしかなかったんですが、いろいろな魅力があるんですね。セゾニアとしては“女”を演じなければいけないんですが、母性愛的な部分も大きいのかなと思ってます。
菅田 本読みをして一気にわかりましたよね。書かれたのは70年も前ですけど、全然古くない。栗山さんの言葉を借りるなら、肉体的な疲労より精神的な論理に追いつめられるという感じなんですが、「あ、面白いな」と思えて安心しました。いま演じることができて幸せです。
秋山 私は配役を聞いたとき、「彼は合うな」と思ったんです。それは彼が、枠の中に入っていないというか。思いもよらないような、いろんな面を出されるから。
菅田 カリギュラは王だし、状況や人間関係は自分とはまったく違うんだけれども、先入観で思っていたより全然近くて。「欲しくてたまらない孤独を完成させるんだ」とかね。僕は彼を、狂気ではないと思うんです。
誰よりも純粋にひとつひとつのことを論理で確認しているからこその行動なんだけども、周りからは狂気に見える。そういうことって、誰にでもあるんじゃないかな。
例えば、僕は「あんなに長いセリフをよく覚えられるね」と言われたりしますけど、僕からすれば「それは仕事だしな」と思う。自分がやっていることと、周りからの見え方って違ったりするじゃないですか。
そういうギャップがカリギュラにはあって、そこはすごく「わかるな」と思います。カリギュラは月を欲しがるけど、俳優ってそういうところがある……というより、そういうところしかない生き物ですね(笑)。
秋山 こういう世界を日常でやっているんだものね。
菅田 芝居には答えがないから自己評価しかないし。
秋山 栗山さん、みんなの初めての本読みを聞いた後、すごく喜んでましたね。
菅田 あれはうれしかったな。栗山さんは名言メーカー。いい言葉をたくさんくださるから、勉強になります!