わずか2週間だけ一般社会に戻ったと思ったら、明確な理由も告げられず、デニズさん(40)は「無期収容」が待つ東日本入国管理センター(茨城県牛久市。以下、牛久入管)へと再々収容された。デニズさんはトルコ国籍のクルド人。犯罪者として収容されるのではない。難民認定の申請をしているだけだ。
牛久入管は、法務省の出入国在留管理庁(以下、入管庁)が管轄する、在留資格のない外国人を収容する施設だ。2019年6月末時点で1253名が収容されている。全国にはそんな収容施設が9か所ある。
牛久入管総務課によると、このうち約3分の2が難民認定申請中か、それが不許可となった人たちで、残り3分の1が、観光ビザや労働ビザなどの在留資格はあったが、オーバーステイをはじめ何かしらの法律違反で収容されている人たち。その生活はつらい。
1日6時間の自由時間以外は6畳の部屋で4~5人の居住が強いられる。窓には黒いシールが貼られ、外の景色は一切見えない。家族との面会もアクリル板越しに30分だけ。病気になって受診のための申請書を書いても、受診できるのは10日以上もたってから。そして出所できる基準が一切ない。
刑務所ならば収容期限も、出所の基準もあるが、入管行政にはそれがない。現在の最大の問題は、牛久入管が「無期収容」の場へと変貌していることだ。被収容者316人のうち、半年以上もの長期収容をされているのは、ほとんどすべてともいえる301人。収容を一時的に解く「仮放免」という措置はある。だが、以前は長期収容を避けるために発動された仮放免がここ2、3年で激減しているのだ。
その背景には、入管庁長官が全国の収容施設長に出した通知や指示がある。’16年4月7日付で、「2020年東京オリンピックまでに、不法滞在者等“日本に不安を与える外国人”の効率的な排除に積極的に取り組むこと」との通知が出され、’18年2月28日には、「重度の傷病等を除き収容を継続すること」との指示を出している。つまり、国が「オリンピックのために、社会に不安を与える外国人を無期収容せよ」と命令したということだ。
外に出られない絶望感から、自殺者やハンストによる餓死者が
冒頭のデニズさんは’07年に来日。トルコで反政府デモに参加したあと、警察施設で暴力を受けたことで国に見切りをつけた。子ども時代は学校でのクルド語使用が禁止されていて、見つかればトルコ人の教師に殴られた。大人になっても、トルコ人からクルド人への民族差別は日常茶飯。最近でも「クルド人入店禁止」の貼り紙を出した店もあるくらいだ。
デニズさんは、平和な国・日本へと避難したのだ。だが観光ビザのままで働いたことで収容され、その後は数か月の仮放免を2回繰り返し、’16年6月から牛久入管に収容された。その間、難民認定の申請をしている。結果はまだ出ていない。
筆者がデニズさんに初めて会ったのは’18年11月。その時点で2年5か月の長期収容を強いられていたのだが、アクリル板の向こうで彼は憤っていた。
「私は難民申請をしているだけ。だのになぜこんなに長く収容されるのですか! 仮放免申請も10回くらいしたけど、いつも不許可です。いったい、いつここから出られるのですか!」
デニズさんが何よりつらいのは、’11年に入籍した日本人の妻・Aさんに会えないことだった。
「私は奥さんを愛している。奥さんも私を愛している。でも、入管は私たちの結婚を認めずビザをくれようとしない。これ、おかしいよ!」
そして、こう付け加えた。
「でも、この中にいれば、みんな不安で睡眠薬や精神安定剤をたくさん飲んでいるから頭がボーッとする。そのうち絶望感が大きくなっていく」
愛する妻に会いたい。でも会えない。いつここを出られるかもわからない。その絶望感から、デニズさんは入管施設のなかで6回ほど自殺未遂をしている。’17年2月には天井を破壊してむき出しになった鉄骨にシーツを渡して首をかけた。だが、シーツが伸びたために足が床につき未遂ですんだ。
デニズさんだけではない。外に出られない絶望感から、牛久入管では’18年4月にインド人男性が首つり自殺をしている。’19年6月には大村入国管理センター(長崎県大村市)で、3年7か月も収容されていた通称サニーさん(40代=ナイジェリア人男性)が、仮放免を求めたハンストの末に餓死している(公表は10月1日)。’07年からのデータでは全国の収容施設で亡くなった外国人は15人。うち自殺者は5人だ。