「また2週間で戻すけど」その言葉に絶望して
こうした状況に風穴をあけたのがイラン人のSさん(38)だった。
Sさんは2年半も収容されていたが、ある日突然「頭に来て」、今年5月10日から仮放免を求めるハンストを開始。すぐに同調者が現れた。6月になり体重が10キロ以上も落ちると、自身を含め4人のハンスト者の仮放免が約束された。
だが、仮放免された7月9日の朝、仮放免決定通知書を見て驚く。仮放免期間はわずか13日間だったからだ。
それでも更新(延長)されればまだいい。だが、7月22日、東京出入国在留管理局(東京都。以下、東京入管)の更新手続きで「更新不許可」を告げられ、即日で牛久入管に戻された。それを見た被収容者は「最初からそのつもりか!」と怒りに燃え、新たにハンストに加わる人も現れ、ハンスト者は約100人にまで膨れ上がった。
Sさんは再収容と同時にハンストを再開。そして8月6日、入管が再び仮放免を約束したことで食事を再開した。だが、10月17日に再仮放免されるも、その期間はまたしても2週間だけだった。だが市民団体など支援者のなかには「さすがに『再々収容』はしないのでは」との期待を抱く人がいたが、「いや、入管はやる」と断言する人もいた。そして2週間後の31日、おそらくは再収容を怖れたのであろう、Sさんは入管に出頭することなく失踪してしまった。
また何年になるかわからない長期収容が待つ以上は、失踪しても責められないと支援者は語ったが、問題は、失踪者は今後、自分を守ってくれるべき弁護士や市民団体との一切のつながりなしに生きていくことだ。どうやって身を隠し、どうやって生きていくのだろう。
デニズさんは逃げなかった。6月にハンストに参加。やせ衰えたときに仮放免を約束され、3年2か月ぶりの8月2日に仮放免された。そして、2週間後に再収容されるが、すぐ再ハンストを開始し、9月20日に再度、仮放免の約束を得た。だが同時にこう言われた──「また2週間で戻すけど」。
この言葉に絶望したデニズさんは遺書を書き、22日、アルミ缶を引きちぎり、その切り口で両手首を切った。次いで首を切ろうとしたら近くにいた被収容者が「ダメ!」と止めに入り事なきを得た。その後、私を含めた取材者や支援者が次々と面会したことでなんとか気力を取り戻したが、デニズさんの心身は弱っていた。
10月25日。私は彼の仮放免に立ち会った。妻のAさんもいた。雨が降っている。Aさんを見たデニズさんが手を振る。そして走る。Aさんも傘をさして小走りに駆ける。2人は抱擁を交わした。もちろん、2人は2週間後を意識はしていたが、それを口にせず、ただ再会を喜んでいた。
みなさん、どうか私たちの命と自由を守ってください
同じ日に仮放免されたのが、3年10か月も収容されていたイラン人のベヘザドさんだ。彼もハンストでやせたことで仮放免が許可されたが、淡々と「2週間後にまた戻ってきますから」と語った。だが、その2週間の間にベヘザドさんにはやりたいことがあった。入管のなかで、あまりにも人権と人命が軽視されている実態をできるだけ多くの人に伝えたい。
この思いを受け止めたのが、牛久入管への面会活動などを行う市民団体『freeushiku』だ。メンバーの高橋若木さんが「彼の真剣な思いに応えました。すぐに準備に入りました」と話すとおり、11月2日、多くの人が行き交う東京の新宿駅前のスタジオアルタ前広場で緊急集会が実現した。
デニズさんが「結婚してもビザをもらえず、収容されている人たちも絶望感で苦しんでいる」と訴えると、ベヘザドさんは静かに群衆に語りかけた。
「私の出身の中東では戦争の爆撃や鉄砲で亡くなる人が多い。そして、今の時代、この日本でも、入管の収容所で自殺で命を亡くす人もいる。これらの命に違いなどありません。私は命をかけて自由を求めます。みなさん、どうか私たちの命と自由を守ってください」
そして11月7日。多くの支援者が東京入管に出頭したデニズさんとベヘザドさんに、握手とハグを交わし、「更新されるかもしれないから。ここで待っているから」と伝え、面談室へと向かった2人を見送った。だが、何時間たっても2人は戻らない。この日、再び収容されてしまったのだ。
デニズさんは「すぐにハンストをする」と宣言していたが、ベヘザドさんは「自分の身体を壊すハンストは自分にも人にもすすめられない」として態度を保留。いずれにせよ、もし2人がまた仮放免されることがあっても、その期間は2週間だけだ。
私は牛久入管になぜ2週間で戻すのかと尋ねた。その回答は「ハンストをすればやせて不健康になります。だから健康になってもらうために外に出す。そして健康が確認できれば戻すということです」との説明だった。それではいつまでたっても、ハンストと2週間だけの仮放免が繰り返されるだけだ。
長期収容という問題。犯罪者ではないのに(元有罪者はいるにしても)無期収容することは、家族ともアクリル板越しに30分しか面会を許さないのは、まっとうな医療を受けさせないのは、何の意味があるのだろう。
ひとつだけ言えるのは、入管はこれら被収容者が「自分で国に帰る」と言えば翌日にはその準備に入る。だがデニズさんは帰れば弾圧が待ち、ベヘザドさんはイスラム教からキリスト教への改宗という国のタブーを犯したため、帰れば投獄か死刑が待っている。だから帰れずに冷遇に耐えている。
ある仮放免者が私にこう言ったことがある。
「日本政府は入管法を改正して、これから34万人の労働者を海外から受け入れる。でも私たちはすでに日本の文化や習慣を理解し、日本語も話せる。ある程度、長く滞在している仮放免者には何かしらのビザを付与してほしい。そうすれば日本の役に立てます」
しかし現実は、彼らを収容するか帰国させるかでしか入管行政は動かない。だが、在留資格がないからといって、外国人をここまで無期収容する事例は他国ではほとんどない。この状況を変えるのは、ひとりひとりの国民が関心を示し、入管行政を変えることしかないと私は考えている。
(取材・文/樫田秀樹)
<筆者プロフィール>
ジャーナリスト。'89年より執筆活動を開始。国内外の社会問題についての取材を精力的に続けている。『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)が第58回日本ジャーナリスト会議賞を受賞
※2019/11/19、内容を一部修正して更新しました。