「第二のカズヤ」を生んではならない

「誰かひとりでもカズヤに寄り添う人がいてればね」。佐藤さんは私を駅まで送る道すがら、たびたび口にしていた。悔しさをにじませながら放ったこの言葉が痛く胸に突き刺さる。

 佐藤さんは日々、さまざまな理由でセーフティーネットからはずされてしまった人(主に自立支援ホームなどから出た18歳以降の人たち)のアフターケアに尽くしている。それは「第2のカズヤを生まないため」だと教えてくれた。佐藤さんの教訓を、私は深く重く受け止めたい。

 私が訪れた10月の暮れ、前橋駅はすでに木々の葉が赤く染まり、街を鮮やかに彩っていた。冷たい風に吹かれ、西の太陽に照らされる紅葉の木々は誇らしげに輝いている。その風景の中に、佐藤さんのまじり気のない笑顔に照らされる土屋死刑囚の姿が重なる。

 “誰かひとりでも寄り添う人がいれば──”。私は帰りの電車内で、佐藤さんのこの言葉を何度もなぞった。日常的な人格の否定、孤独へ追いやられる虚無感は、これほどまでに人間を凶悪に仕立て上げてしまうものなのか。なぜ、誰も止めることができなかったのか。私はこの街に残された土屋死刑囚の軌跡に迫り続けることになる。

PROFILE
●河内千鶴(かわち・ちづる)●ライター。永山子ども基金、TOKYO1351メンバー。沖縄県在住。 これまでに地球5周、世界50か国以上を旅しながら、さまざまな社会問題を目のあたりにする。2013年から死刑囚の取材を始め、発信を続ける。連載に『死刑囚からの手紙』週刊金曜日。

《ガラス越しの死刑囚》拘置所で会った彼が、一度だけ笑顔になった瞬間【第1回目】 《ガラス越しの死刑囚》殺人事件の背景にあった、彼の孤独と貧困【第2回目】