「血のつながらない親族」
しかし、しばらくして矢部の気が変わった。
「大家さんが単行本を読んですごく喜んでくれていたんです。それに、体調が悪くても本を読むことはできました。だから、続きを描くことで大家さんが喜んでくれたら……と、大家さんのために描こうと決めたんです」
こうして、'18年の春から今度は『週刊新潮』での連載がスタート。矢部はたびたび掲載誌を持って大家さんが入居する施設に見舞いに訪れたという。
「大家さんは、施設の方に“ご親族ですか”と尋ねられたときに、いつものユーモアで僕のことを“血のつながらない親族”と紹介してくれました。それを聞いたとき、なんだかジーンとしましたね」
桜の季節を迎えるころ、うれしいニュースが舞い込んだ。優れた漫画作品に贈られる『手塚治虫文化賞』で、短編賞を受賞したのだ。歴代受賞者にそうそうたる漫画家が名を連ねる名誉ある賞で、プロの漫画家以外が受賞するのは初めて。武政さんが電話で伝えたところ、矢部の第一声は「今日はエイプリルフールですか!?」だったという。
受賞のスピーチで、矢部は大家さんへの思いを語っている。
《大家さんが、いつも「矢部さんはいいわね、まだまだお若くてなんでもできて。これからが楽しみですね」と言ってくださっていたのですね。(略)本当に何でもできるような気がしてきて……》
体調が回復して、いつかまたひとつ屋根の下で暮らせたら─。矢部のその願いは叶わなかった。週刊新潮での連載開始から3か月が過ぎたころ大家さんが亡くなったのだ。そのときのことを尋ねると、矢部は「本当に突然だったので……」とうつむいた。
「それ以前から施設に入っていたので、帰ったときに電気がついていなかったり、雨戸がずっとしまっているのを見て、大家さんがこの家にいないんだという実感はありました。でも……」
宙を見つめ、ゆっくりと言葉を絞り出す。
「もう大家さんのお話を聞くことも、漫画を読んでもらうこともできないと考えると……。すごくさみしくて……」
大家さんが亡くなってから3か月ほどの間、矢部は連載の執筆を休んだ。
「思い出すのがつらいからというのもあったんですが、描いていていいんだろうかという気持ちがすごくあって……」
連載を再開できた理由を尋ねると、「どうしてなんでしょうね……」とつぶやきながら、言葉をつないだ。
「考えがまとまったから、でしょうか……。読者の方から“私も大切な人を亡くしてつらかったけれど、乗り越えられた”というお手紙をたくさんいただいたんです。その手紙に僕は救われた思いがした。だから、今度は僕が漫画を描くことで誰かの希望や救いになれたらいいなって……」
今年7月に発売された続編の単行本『大家さんと僕 これから』には、大家さんが亡くなったことを示唆するシーンや、亡くなった後のエピソードも綴られている。
「でも、本当は今でも描いてよかったのかわからない。こういう形じゃないものがあったんじゃないかって……」