「美空ひばりの息子が〜」からの解放
美空ひばりの付き人であった関口範子さん、齋藤千恵子さん、お手伝いの辻村あさ子さんは、ひばり記念館で今も暮らしている。ひばりが亡くなったときも、加藤から「これからどうする」という言葉はまったくなかった。
「お嬢さんが犬好きだったんです。社長は私たちがボケないようにと、10年前に子犬を連れてきてくれた。専務(有香さん)は、敬老の日に長寿の木をくれたんです。だからもうちょっと長生きしそうですと言ったら、社長がそれはよかったって」(辻村さん)
加藤は、「あの3人がそのままいるのは、本当になりゆきなんですよ」と笑うが、ひばりのために尽くしてくれた3人を放り出す気など、さらさらなかったに違いない。
情の濃い加藤は、自分を産んでくれた母が体調を崩していると聞いて会い、何度も食事をともにしたという。母が逝ったときは自宅の仏壇に頭を突っ込み、「母ちゃんがそっちへ行ったから、仲よくしてやって」と言ったそうだ。
彼は昨年、肝炎と膵炎で突然倒れた。全身が真っ黄色になり、集中治療室に入れられて口もきけない状態だった。自身も死を覚悟したが、2週間半後、急に起きて歩くことができた。20キロやせたものの、検査結果は完全に回復。医師も驚いていたという。その一件以来、酒を控えるようになった。まだ死ぬわけにはいかないのだ。
ひばりを守るだけではなく、不世出の歌手をきちんと伝えていかなければいけない。
今年の『第70回NHK紅白歌合戦』では、AI技術によって再び美空ひばりのステージが蘇ると話題だ。また、ファンである有香さんは、ひばりが日系移民のために開いたコンサートの足跡をたどって、ハワイ、ロス、台湾、ブラジルでイベントを成功させたいという夢をもっている。
「今も、僕はばあちゃんと親父が羨ましくてたまらない。僕も、美空ひばりをプロデュースしたかった。
おふくろはもういないけど、忘れ去られることが怖いんです。だから美空ひばりをさらに発展させていくためにどうすればいいかを考えています。それができるのは僕と有香しかいませんから」
加藤が何かを始めたら、「美空ひばりの息子が~」と必ず言われる。それを避けるために、彼はどこかで自分を押し殺していた。だが有香さんだけは、「好きなこと、やりたいことをしてみたら?」と言い続けてきた。
ひばり没後30年の節目、死をも覚悟した急病からも復活した今なら、「美空ひばりの息子」を気にせず、やりたいことを楽しめると加藤は感じたのかもしれない。たまたま、仕事で知り合った日本コロムビアの早坂昌也さん(50)とパンクロックの趣味が一致、バンド活動を始めるつもりだという。
「もうひと暴れする気になったと和也さんも言っています。何をやっても“パンクですから”って言い訳できますし(笑)」(早坂さん)
美空ひばりの息子として生き、ひばり伝説を守り続けてきた彼が、これからは自分のためにも人生の時間を使えるときが、来たのかもしれない。
取材・文/亀山早苗(かめやま・さなえ)1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、貧困や格差社会など、幅広くノンフィクションを執筆。歌舞伎、文楽、落語、オペラなど“ナマ”の舞台を愛する