離婚の翌日、ディナーショーを開催した“聖子ちゃん”は
子どもを守りたいという思いは村田も同じだったという。
「村田さんは自分たちの子どもには沙也加さんのような目にあってほしくないと思っていたんじゃないかな。彼はそもそも“主夫”願望があり、沙也加さんのプロデューサーとして裏方に回りたかった。“沙也加さんが仕事に邁進して、自分が子どもを育てる”という気持ちがあったと思いますよ」(前出・村田の知人)
だが、いざ子どもをつくろうと思っても、沙也加のスケジュールは数年先まで仕事で埋まっていた。
「彼女はテレビや映画というよりは、主にミュージカルの舞台を中心に活動する女優です。舞台の仕事というのは、大きい劇場の作品だと2〜3年先のスケジュールまで押さえられてしまうこともあります。そうなってしまうと、出産と育児のために沙也加さんがオファーを断って、女優業を休業しないといけない。でも、彼女はなかなかその決断に踏み切れなかったそうです」(前出・舞台関係者)
なぜ子づくりに前向きになれなかったのか─。
「沙也加さんほどの女優でも、オファーを1度断ってしまうとほかの女優さんにとって代わられてしまう可能性があるんです。彼女としても、女優業を再開したときに“もう呼んでもらえないのではないか”という危機感はあったと思います」(同・舞台関係者)
休業中の収入面も沙也加を悩ませる要因のひとつだった。
「自分が仕事をできないということは、当然、夫である村田さんの収入に頼ることになります。でも、彼の仕事は安定した収入が見込めるものではなかった。将来への不安を覚えた沙也加さんは、結果的に舞台のオファーを受け続けることを選んだのです」(同・舞台関係者)
そんな彼女の心のすき間を埋めたのが、秋山だったのかもしれない。彼らの親は、この離婚についてどう思っているのか─。離婚発表の翌日、聖子は神戸でクリスマスディナーショーを開催していたが、
「何度も来ていますが、聖子ちゃんはプライベートのことを話さないんですよ。過去に母娘でショーに登場したときは多少話していましたけど」(ショーを観劇した女性)
聖子は結局、自身の紅白出場についてはアピールしたものの、沙也加の離婚については無言だったという。
一方、大阪に住む村田の母親に話を聞くと、
「お話しできることはないんです、いろいろなことがあるので。でも、お互い勉強になったこともあったと思います。子どもは子どもでやっていますし、もう40過ぎた大人ですから。私から何も答えることはありません」
最近、村田は帰省しておらず、離婚のこともテレビで見て知ったとのことだった。
昨年10月には、村田の地元で開かれた祭りで仲睦まじいふたりの姿が目撃されていた。さらには今年6月、村田の約1年半ぶりの復帰舞台となった朗読劇『私の頭の中の消しゴム』に沙也加も出演して夫婦の円満さを披露していたのだが─。新婚のふたりが直面した厳しい現実は“ありのまま”で乗り越えられる壁ではなかったようだ。