唯一の味方である祖父が亡くなる
軽度の発達障害と診断され、小学校では特殊学級に入れられたり普通学級に戻されたりと、大人たちの都合に振り回された。そんな彼を心から心配し、認めてくれたのが母方の祖父だった。
「祖父は、“勉強ができなくてもいいんだよ”と言って、山で一緒に山菜やきのこをとったり旅行に連れていってくれたり。私の存在を丸ごと認めてくれました」
両親と彼と妹の一家4人は、彼が物心つくころから、青森市の母の実家で生活していた。祖父はいつでも彼の味方だった。だが、そんな中、あるトラブルが起こる。小学校6年生のとき、家庭科の先生に暴言を吐いたとして家庭科室に閉じ込められたのだ。教師のヒステリックな対応に恐怖を覚えた彼は帰宅後、母にそのことを告げる。母は学校へ行ってくれたが、取り合ってもらえなかった。そこから彼は教師や学校を信じなくなり、体調を崩して登校できなくなった。気持ちがいっぱいいっぱいだったのだ。
「中学の入学式には行きましたが、学校が怖くてたまらなかった。私自身、あのころは自分の気持ちをうまく言葉で伝えることができなかったから、毎日泣いていましたね。両親から車に押し込められて学校へ連れていかれたけど、そのうち血尿が出て心身症と判断されました」
9日間で不登校になった。父は息子が家にいることがとにかく気にくわなかったようだと振り返る。そんなときも、祖父に支えられていた。ところが冬のある日、祖父が出先で倒れて救急車で搬送、そのまま亡くなってしまう。
「救命センターに行ったとき、私は震えが止まりませんでした。言葉にできないくらい絶望的な気持ちだった」
味方がいなくなった。その思いは、父が趣味で木のテーブルを作るのを手伝わされたときにも痛感した。
「私はそういうことが苦手なので、どうしたらいいかわからない。父は教えることもなく、思うようにならないと叩く。庭に球根を植えたときも1列に10個植えるからと言われて、バランスよくできないと手が出る。そんなとき黙って見ている母にもだんだん腹が立っていきました」