父を殺していたか、自分が死んだか
中学にも、地元の高校にもほとんど通えず、家で考え込んでばかりいた。
「なぜかいじめられるようになったんです。クラスメートにどつかれた。どついた子の親に電話したり先生に言ったりしたけど、埒(らち)が明かない。私は話を聞いて、本人に謝ってほしかっただけ。だけどそれが伝わらない。それまでのすべてのストレスが一気に爆発したのか、教室の机をひっくり返したりして大暴れしてしまったんです。先生からは、“私にはあなたの気持ちがわからない”と言われました。それからは学校へ行こうとすると、お腹が痛い、熱も出る。結局、ずっと部屋にこもるしかなくなったんです」
怒ったのは父親だ。なぜ学校に行かないのかと尋問し、夜も寝かせてくれない。その当時、父も大きなストレスを抱えているという背景があった。父が勤めていた会社が他社と合併し、抜擢(ばってき)されて役職が上がったものの、プレッシャーになっていたのだ。
「父は、どんどん目つきが鋭く怖くなっていった。会社でもパワハラしていたらしいですが、家族さえ敵に見えたんじゃないでしょうか」
追い込まれていく父、そんな父にさらに追い込まれていく息子。彼は不眠症に苦しみ、まる2日眠れないこともあった。イライラが募り、ついに母親に暴力をふるうようになった。父親を殺してやろうと包丁を手にしたこともある。
「あまりにつらくて生きづらくて、どうしたらいいかわからなかったとき、新聞か何かで『いのちの電話』の番号を知ったんです。それでおそるおそるかけてみた。電話に出てくれた人は、私の話をゆっくりと聞いてくれました。父親を殺してやろうと思っていると言ったら、慌てず騒がず、“そういう気持ちになることもあるよね”と。そう言われ、ふっと気持ちが楽になった」
彼は毎日のように電話をかけた。電話の向こうの人は、いつでも話を聞いてくれた。今までの人生のストレスをすべてぶつけたが、ただじっと耳を傾けてくれた。安易に同調もしないし反論もしない。答えを出してもくれない。ただ、少しずつ、「答えはその人の中にある。自分の意思で決めて、自分で動くことが大事だ」ということをわからせてくれた。
「あの『いのちの電話』がなかったら、私は父を殺していたか自分で死んでいたか、どちらかです。今、ここにはいなかったと思う」
下山さんはきっぱりとそう言った。
『いのちの電話』は、1953年にロンドンで自殺予防のための電話相談に端を発している。日本では'71年に開始され、現在は全国に50センターある。彼のように電話で救われた人も多いだろう。だが、相談員の高齢化により、人手不足が深刻だ。「何時間かけ続けてもつながらない」などの苦情も増えているという。