親友・八千草薫さんへの思い入れ
「2年ぐらい前かしら。ご病気をされた後で、娘さんに付き添われてお散歩しているのをお見かけし、“これからも頑張って書いてくださいね”と声をかけたら“俺はもう書けないよ”っておっしゃっていました。その後パタッと姿を見ることがなくなりました。お宅も雨戸が閉まっていて、夜には電気がついているのも見かけません。もう誰も住んでいないと思います。それに奥さんも体調を崩されてしまって、都内の病院に入られたとか……」
山田は2年ほど前から別の場所で生活をしていた。
「山田先生は、もう自宅にはいらっしゃらないんです。老人ホームに入られて、そこでひとりで暮らしていると聞いています」(テレビ局関係者)
自宅からそう遠くない川崎市内にある有料老人ホーム。そこが、山田の新しい住まいだった。山田の年齢だと入居には2000万円以上は必要になる。部屋の広さは20平方メートルほど。室内はテレビや電話、ベッドやイスなどが備え付けられ生活が不自由なく送れるようになっている。一方で、ナースコールも完備。万が一の場合にも24時間対応している。
「復帰に向けてリハビリにも懸命に励んでいたそうなのですが……。やはり病気になってしまってから、以前のように自由がきかなくなってしまったのがショックだったんじゃないですかね。最近では“脚本家の僕を知っている人たちとは、もう会いたくない……”とご家族や近しい方々に伝えているそうです」(前出・テレビ局関係者)
老人ホームを通じ、山田にインタビューを申し込んだが、
「個人情報のため、こちらにその方が入居しているのかどうかは、お答えすることができません」との返答だった。
改めて神奈川県内の自宅を訪ねると、たまたま荷物を取りに来ていたという山田の次女が丁寧に話をしてくれた。
─山田先生が最近は執筆されていないようですね。
「元気ではいるんですけど……。この前は『ラジオ深夜便』に出演していますし……」
─ご病気をされていたが、麻痺などの後遺症は?
「(麻痺は)ないです。言葉もうまく話せるようになりました」
─過去にはもう執筆できないと話していましたが……。
「今は仕事をしたいという感じじゃないんです。他のことをやったりという感じです」
─八千草さんが亡くなられたときに、コメントがなかったのはなぜ?
「……ちょっと不在にしていたので……、電話に出られなかったんですよ……」
─八千草さんについて何かお話をされていましたか?
「本人は思い入れも強かったのではないかと思います」
─老人ホームで暮らしてるとうかがいましたが?
「……今は別の場所にいます。私の家とか、姉の家とかを行ったり来たりです」
次女の話にあった『ラジオ深夜便』への出演は、くしくも八千草さんが亡くなった直後の10月26日のこと。
「収録はもっと前です。番組スタッフが粘り強く何度も手紙でオファーし続けたところ、出演してくださったと聞いています」(NHK関係者)
この中で、山田は死生観についても語っていた。
《気がつくと、いつ死ぬかわからない。それが人間の最後の物足りなさということに気がついたことがありまして、それが自分で1番大きな問題になってしまいました。いつ死ぬかわからないというのは、非常にあいまいで、いつ死ぬかわからないというのが、今いちばんの悩みです》
インタビュアーから「これから書きたいテーマ」を尋ねられると、山田は、
《それは今、本当に自分本位に考えれば、死を待っているわけですから、死ぬということがどういうことかということを、ワッと書けたら素晴らしいと思いますけどね》
人間の弱さや愚かさを描いてきた山田が、最後に選んだテーマは“死”について。盟友の訃報を、いま噛みしめているのか。