愛することに不器用な母を許せた
専門学校2年生のころ、穏やかになったと思った母が徐々におかしくなっていった。裸足で家を飛び出したり、近所のカフェのキッチンでうずくまり、「長男が来なければ出てこない」と言い張ったり。
「父は母が出ていかないようリビングで寝ていたんですが、母は夜中に窓から出ていってしまう。裸足で寝間着のままタクシーで羽田空港へ行ったこともありましたね。警察によると外国人に話しかけまくっていたらしい。父に対しても名前を呼び捨てで呼んでいました。
病気の影響もあるかもしれないけど、僕は母が“なりたい人格”になったんじゃないかと思ったんです。だから僕も母を名前で呼んで“今日の料理はうまかったよ”と、恋人に接するようにしていたんです。母はうれしそうでしたね」
人格が変わったのは3か月ほどの期間だ。ある夜、リビングでテレビを見ていた城田さんのもとに、母は熱い味噌汁を置いて「ごめんね」と言った。その瞬間、彼の中ですべてが氷解し、愛することに不器用だった母を許せたという。母はその2週間後に亡くなった。
「母自身も、すべてから解放された3か月だったんじゃないでしょうか。亡くなった顔はとてもきれいでした」
その後、城田さんは専門学校を卒業、国家資格にも受かってあん摩マッサージ指圧師として仕事を始めた。この1年ほどは障がい者施設でのボランティアと並行して、一般社団法人トカネットのメンタルフレンドにもなっている。不登校やひきこもり当事者の「友人」として一緒に遊んだり話したり、ときにはその子の行きたいところへ同行したりする活動だ。
「会って話したり本を読んだり。徐々に外に出られるようになって一緒にサイクリングをすることもあります。こういうときもマッサージの資格が役立つんですよね。調子が悪そうだったら施術することもできますから。
“その時間に仕事をすればもっとお金になるのに”と言う人もいるけど、僕はつらかったときに整体の先生に助けられた。だからその恩返しをしたいんです。かつての僕のように苦しんでいる子や社会的に弱い立場にいる人の助けになりたい」
身体を整えると心も前向きになることがあると、彼は実体験から学んだ。だから苦しむ人たちの身体と心をケアしたいと真摯(しんし)に語る。
もっと福祉を学びたいと考え、現在は通信制大学で社会福祉も勉強している。つらかった10代を跳ね返すように、明るい笑顔で城田さんは今日も仕事にボランティアに飛び回っている。マイナスをプラスに変える力強さ、自分から学び取るたくましさを、彼はもがきながら手にしたのだ。
文/亀山早苗(ノンフィクションライター)
かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆