親になって初めて気づく父のスゴさ

原田 たしかに、子どもの行動を制限すると何も経験できないもんね。自分が父親という立場になって、お父さんへの気持ちに変化はありましたか?

亀田 自分が子育てを始めて「親父のようにはなれない」と、親父のスゴさを再認識しましたね。

 両親は早いうちに離婚して、親父は4人の子どもをひとりで育てたんです。仕事に行って自分たちの食事を作ってボクシングの練習もして、寝るときも一緒。土日はみんなで釣りに行ったり、友達を集めてキックボールの大会を開いたり四六時中、自分たちといました。自分にはできない。

原田 すごいね!

亀田 当時の親父は30代なので、自分も同じ年代になって子どもがいますけど、子どもにすべての時間を使うのは正直、無理ですよ。

原田 本当にすべてを注いで、お子さんたちを育て上げたんですね。

亀田 極端な例だとは思うけど、自分には親父のような子育てはできないし、しないと思う。もちろん、思春期は反抗したくなったこともあったけど、子どもたちに全力で愛情を注ぐ親父を見てきましたからね。一生かけて恩返しします。

原田 お父さんの愛情がしっかり伝わったからこそ、勝ち取れた世界チャンピオンだったんですね。そんな逸話が隠されていたとは。反省することないじゃないですか!

本日の、反省
亀田くんとは過去の仕事でご一緒したこともありましたが、腰を据えて話すのは初めてでした。現役時代の亀田くんのファイトスタイルは世間が叩くには格好の標的になってしまったけど、その中でも彼を支えていたのはお父さんや家族の深い愛情だった、というお話が聞けて興味深かったですね。それでいて、親子関係を冷静に分析する目も持っていて、すごく芯が通った素晴らしい青年。さすが世界チャンピオンです。とても楽しかったです!


はらだ・りゅうじ
1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。

かめだ・こうき
1986年、大阪府生まれ。11歳からボクシングを始める。17歳の誕生日にプロデビュー。現役時代は、日本人史上初の世界3階級制覇を成し遂げつつ、過激なパフォーマンスでも世間の耳目を集めた。2015年に現役を退き、メディアで活躍しながらボクシングの普及に尽力する。

取材・文/大貫未来(清談社)