ようやく自分を再構築しつつある
離婚、そして転職。シェアハウスに引っ越し、さらにもう1度転職し、今、ようやく彼女は公私ともに落ち着いた生活をするようになった。
「いろんなことがあったので、自分の年表を作ったんです。それを見ながら当時の気持ちを分析、ようやく自分を再構築しつつある気がしますね。母は私を娘というより、同じ女と見て張り合うことがあった。16歳でひきこもったとき、“悲劇のヒロインぶって”と言われたんです。母との関係、教師との関係、上司からのパワハラも含めて、いろいろあったけど、誰も憎んではいません。憎悪は悪意ですから、私は悪意をもった人間になりたくない」
ワケあり女子さんは頑張りすぎる自分をようやく自分で認められるようになったと微笑(ほほえ)んだ。「世間から見て」キラキラしてなくてもいい。もっと柔軟に生きればいいのだ。
彼女の話を聞いて、人は何のために生きているのかという永遠に解けない課題を思い起こした。美人で賢く生まれたら、それを武器にうまく人生を渡っていく女性も少なからずいると思う。だが、彼女はまっすぐすぎた。よくも悪くも不器用なのかもしれない。まっすぐだったからこそ躓(つまず)き、まっすぐだからこそ再構築もできた。
最初に『不登校新聞』の編集会議で出会ったときも、彼女は学校への不信感を述べてはいたが、決して単なる悪口ではない。全体主義の教育が個性をつぶすという理にかなった発言だった。
彼女の人生は過去を踏まえて、また、ここから始まる。
文/亀山早苗(ノンフィクションライター)
かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆