「死ぬまで仕事をしていたい!」
寛子さんがその番組への出演を決めたのはスタッフの真摯(しんし)な対応です。
オファーは、小雁さんの元気な姿を面白おかしくテレビで見せてほしい、という内容でした。でも「もう元気じゃない!」。悔しさと苦悩が交じった寛子さんの感情に、番組は内容をあらため、『壮絶な介護の実態、介護とともに生きる』をテーマに、認知症を正面からとらえてくれました。
寛子さんは、構成のために、細かいことまでたびたびインタビューされます。カメラを前に、場面を変えて同じ言葉を繰り返します。今までのことを口に出して何度も何度も話すうちに、心が整理されていきました。1回目より2回目、2回目より3回目と、自分の中にかかった霧がどんどんと晴れていき、やわらいでいくのを実感しました。
「これ、もしかしてカウンセリング? って思いました。告白したら気持ちが整理できて、余裕が生まれたんです」
すると寛子さんは、小雁さんのなかに宿る“願い”に気づきました。それは、認知症になっても変わらず、「死ぬまで『芦屋小雁』として仕事をしていたい!」ということ。
寛子さんはこの願いを“小雁スイッチ”と名づけました。本名の西部秀郎から、舞台役者・芦屋小雁へ切り替わる瞬間です。いまも、寛子さんが「一生、仕事をしてくれるのよね?」と問いかけると、小雁さんはパッと顔を輝かせて、「まだまだ仕事するで!」と、ハッキリ答えます。
現在は、認知症に関連するイベントなどのトークショーに寛子さんと二人で出演。夫婦漫才のような掛け合いが客席を笑いで包みます。「お客さんが反応してくれると、乗ってしゃべっていけますわ」と小雁さん。
とはいえ、仕事を持つ寛子さんが「要介護4」と認定された小雁さんを支えるには、万全の介護体制を整えておく必要があります。ケアマネージャーの市田勝彦さんに相談し、デイサービスや小規模多機能施設の利用も試しましたが、いずれも小雁さんには合わずに断念。「家で過ごしたい」という本人の意思を尊重して、在宅介護を選択しました。
寛子さんが仕事に出かけるときは、訪問介護員の西本豊さんに小雁さんの介護をお任せし、お昼ごはんの買い物などの外出にも同行してもらいます。道に迷ったときのために、GPS端末を組み込んだ靴も用意しました。「小雁さんが家を出たらスマホに連絡が来て、現在地を確認できるんです。これがあれば“在宅介護で大丈夫”と思えました」