ひきこもりを脱し、学習塾講師に
庵では数か月の間に、さまざまな人たちと友達になった。朝まで一緒に遊んだこともあるし、将来のことを深く話し合ったりもした。尊敬できる友人に出会い、翌年2月、彼はひきこもりから脱して、ある塾に就職した。
塾で教えることは楽しかったが、何か違うことにもチャレンジしたくなり、数年後に知人から別の仕事を紹介された。新たな人間関係のなかで働くことは、彼にとって非常に厳しかったが1年間、力いっぱい働いた。
そして、現在はまた新しい経験を求めて別の仕事を探している最中だ。
メンタル的につらいときは、数学に救われたことも多々あると話す。数学に救われる、という言葉が、数学が苦手の私には興味津々だ。
「楽しめるんですよ。数学の世界は終わりがない。誰も解いたことのない未解決問題もたくさんあるんです」
彼の目が輝く。本当に数学が好きなのだろう。数学はおろか、算数の分数さえ理解できていない私に、簡単な数式を書いて「数字のおもしろさ」を教えてくれた。小中学生のときにこんな先生に巡りあえればよかったのにと心から思う。
心のバランスを崩してしまうことは誰にでもある
彼には、いつかまた塾講師に戻りたいという希望もあるが、今はまだ人にものを教えるほどのエネルギーがなく、気持ちが追いつかないという。
「まずは生活を安定させるのが第一ですね。大学院を卒業して内定していた会社に勤めていたら、今はどのくらいの収入があったのだろうと考えると後悔だらけ。世間的な価値観とのせめぎあいは、まだ僕の中にあるし、自分がダメ人間だという認識はなかなか払拭できないけれど……」
院生時代は付き合っている人もいた。あのまますんなりと東大大学院を卒業して、大企業の会社員になっていたら、今ごろは家庭をもって仕事を続けていたのだろうか。そこで彼は心からの幸福を感じていただろうか。
第三者からみれば「もったいない」と言うだろう。私自身もそう思った。だが、話をしているうちに、どこかで心のバランスを崩してしまうことは誰にでもあるだろうと感じるようになっていった。
彼を紹介してくれた知人が、「本当にやさしい人」とその人格を絶賛していた。過去の話を聞きながら、私のほうがときどき時系列でこんがらがってしまうと、彼はきちんと年代を挙げて丁寧に説明しなおしてくれる。そのたびに彼の根っこにある思いやりに感じ入った。ひきこもって苦しみ、そこから脱して前進したことは想像を絶する苦しさがあっただろう。だがその経験が彼をよりやさしく、大きくしているのではないだろうか。
かめやまさなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆