大事件に助けられた真田広之
一方、葉月に負けじと(?)真田も名言を残した。
不倫発覚の翌月、映画『写楽』がカンヌ映画祭で上映された際、報道陣の前でこう言ったのだ。
「オウム騒動でずいぶんと助かった芸能人が多いですよね」
実は不倫発覚の前月、地下鉄サリン事件が起き、ワイドショーはオウム一色に。おかげで自分のスキャンダルがあまり報道されずにすんだ、という自虐的な冗談だ。さらに、共演した葉月について「“あの女優さんはいいですね”って、僕に言ってくる人が多くって」とノロケまで披露した。
その後、葉月とは破局したが、'97年には手塚とも離婚。手塚が会見で「価値観の違いが大きくなった」「子どもは敏感ですよ」とシリアスだったのに対し、真田は囲み取材に、
「俳優としてクリエイティブな部分で気持ちが少しでも鈍ったりしてしまいそうな環境は改善していかなければならない」「子どもをもうけていろいろと楽しい思い出がいっぱいありますし、また新しいスタートだと思います」
と、晴ればれとしていた。
ただ真田が言うように、もしオウム騒動と同時期でなければ、風当たりはもっと激しかっただろう。東出や唐田も、大きな事件やスキャンダルが起きることをひそかに期待していたりして……!?
【3】石田純一(当時42歳) 「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」
「不倫は文化」──言わずと知れた、石田純一の名言だ。ウィキぺディアの彼の項目にも「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」というかたちで掲載されている。
そんな名言が生まれたのは'96年、千葉で行われたチャリティーゴルフ大会でのことだった。19歳下のモデル・長谷川理恵との不倫を激写された石田が取材陣の追及を受け、そのやりとりが翌日のスポーツ紙やワイドショーで紹介されたのである。
そのなかに「何が悪い? 不倫は文化」という見出しをつけたスポーツ紙があった。このいきさつについて、後年、石田自身が別のスポーツ紙でこう振り返っている。
「1人だけ残った女性記者が“不倫とかって許されると思うんですか!?”って聞いてきた。“あなたはあなたのお考えだと思うけど、そういうものが世の中の歴史上にも、いろいろずっとある。そういうことを全否定したら、芸術も全否定になっちゃいますよ”と、言いました」
とはいえ、そういう報道に対しては「趣旨としては合っているので、僕は全然、気にしていなかった」「コピーライト力があるなと思っていました」とも。さらに、「やはり女性は怒る権利がありますよね」と、自分が怒られる立場であることも認めていた。
こういうところが、不倫をしてもどこかニクめず、不思議なポジションで生き残ることにもつながったのだろう。