確かに、『新しい地図』として再出発した稲垣吾郎草なぎ剛香取慎吾は激減したテレビ出演の代わりにインターネットの世界へ飛び出すことで、ジャニーズ時代には想像もつかなかった新たな未来を紡ぐことに成功した。またジャニーズ事務所に残った木村拓哉も、解散騒動の逆風から逃げずに第一線で戦い続けた結果、令和元年放送の主演ドラマ『グランメゾン東京』(TBS系)をしっかりと話題作に育てている。

 このように解散からの3年間、メンバーはたとえステージや所属事務所が変わっても、“ちゃんとできる”ところを、自分なりのやり方で広く見せてきたのである。だからこそ中居は「何の心配もしてない」し、自らもSMAPとして培った“努力と根性”を武器に、新しい世界にイチから身を投じる気持ちになれたのだろう。

 そしてそのチャレンジは、かつてSMAP時代の中居が矜持としてよく口にしていた「非常識を常識に変える覚悟」、どこかその新たな実践のようにも思える。

今でも「リーダー・中居」のまま

 中居正広にとって、SMAPとはあるときまで確かに人生の全てだった。しかしSMAPは結果として2016年12月31日を最後に形を失い、彼自身の歩みもまた、一時は止まらざるを得なくなる。

 しかし会見を見る限り、退所を発表するその表情にあった明るさは、喪失感を抱えていた彼が、3年かけてやっと自分の進むべき未来を見つけられた、そんな何よりの証なのだろう。そしてそれはSMAPをずっと大切に思い続けているファンにとっても、何よりの希望、何よりの励ましになったはずだ。

 最後になるがもうひとつだけ、ここでどうしても紹介しておきたい言葉がある。これは退所会見でSMAPの再結成について「100%ではないが0%でもない」と語っていた中居が、今から23年前の1997年に、SMAPのリーダーとして話していたものだ。

《よく、解散するグループがその理由で、『自分たちのやりたいことがバラバラになったから』って言うけど、俺はバラバラになったっていいじゃないかって思うのよ。グループにいることでやりたいことができないんなら、そこを離れて好きなことやって、また帰ってくればいいんだからさ。SMAPはそれができるグループなんだよ》(『JUNON』1997年2月)

 離れて好きなことをやったら、また帰ってくればいい。道が別れた仲間たちを今も「メンバー」と呼ぶ彼の中で、SMAPはきっと今も、それができるグループである。


乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版しているほか、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181