『しげログ』は商品プロデューサーとして活躍し、海外のファッション・流行などをナビゲートしているしげるちゃんが毎回「会いたい人」と「好きなお店」で対談! ゲストの“素”を引き出しちゃいます。第5回目のゲストはファッションモデル・タレントの西山茉希さん。お友達のしげるちゃんだからこそ引き出せる彼女の“これまでとこれから”。 それでは……カンパーイ!!
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しげるちゃん(以下/しげる)「久しぶりだよね~、前回は、とあるイベントで偶然会ったのが最後?1年以上前だね(笑) そのときは、入口で挨拶程度だったので、今日は、ビールをいただきながらお話ししましょ!!」
西山茉希(以下/西山)「はい!」
しげる「ではまず、新潟っ子がいかにして今の西山茉希になったのか。デビューのきっかけから教えてほしいんだけど。最初はスカウトなんだよね?」
西山「そう。大学受験で上京するお友達に、私は卒業旅行としてくっついて行ったの。“これが最後の東京かな”ってぐらいの思い出づくりの感覚で。18歳の中ごろかな。で、銀座駅で迷子になって、そこに一人のおじさんが声をかけてきたんです。その方がのちの私のマネージャーさんなんだけど」
しげる「迷子になったんだ(笑)。じゃあ最初はやっぱり怪しい人って思ったんじゃない(笑)?」
西山「うん(笑)。でも私は原宿に行きたくて、「原宿に連れて行く代わりに僕の話を聞いて下さい」って言われて。その電車の中でスカウトを受けました。芸能界へ入らないかって。でも原宿に着いたら着いたで、「(どうしたらおじさんが)帰ってくれるか」ということに頭が働くから「電話番号お渡しするので今日はここで帰らせてください」と言って帰りました。そのときは“電話出なきゃいいや”と思ってたから」
しげる「でも電話、取ったんだ」
西山「学校を卒業して就職したら最低3年は続けるっていうルールが何故か私の中にあって。ちゃんと貫きたいし、その覚悟のない環境には進みたくなかったんだけど、そうすると卒業してまずフリーターになっちゃうじゃないですか。でも周囲は就職して毎日葛藤して過ごしていて新生活の会話をしてるの。取り残されてる感がある中で連絡が来たから(笑)」
しげる「すぐにOKは出さなかったんでしょ?」
西山「そうそう。やっぱり芸能界には興味がなかったから断り続けてた。で、何回目かの電話で“18歳のあなたが、やってないことに決めつけて答えを出しているのが今でしょ? でもやってみたらどうなるかわかるじゃん? どうなのか。それでダメだったら辞めればいいじゃん”って。それが転機だったかな。その数十秒後に“分かりました、行きます”って」
しげる「で、ご両親には何て話したの?」
西山「友達とその事務所へ行って、新潟に帰って来てから“東京でお仕事したい。芸能界の事務所の方からスカウトされて、もう話が進んでいる”って報告しました。でも最初は話も聞いてもらえなくて。“絶対嘘でしょ?”みたいな」
しげる「そりゃご両親だって、急に“東京に行って芸能人やります!”って言われてもね(笑)」
西山「でも本当に私のモデル人生の“列車”は走っちゃってて、もう選択肢がない!って感じにまでなってたの。降りられないのは本能というか嗅覚で分かるぐらいに。事務所の方がレールを敷いてくれてて、大人の人たちは私がモデルとして生きていく前提でいろいろ動いてくれちゃってたから。それでそのままその電車に乗ってるうちに“『CanCam』のヘアページからスタートします。そして数ヶ月したら先輩たちの表紙の中に入ります!”ってなって」
しげる「降りられないよ、そこはもう(笑)」
西山「それでもウチの親は不安だったから“ちょっとの間通わせて下さい”って。でも新潟県中越地震のとき、唯一残ってた飛行機がキャンセル待ちをしないと、その日の撮影に行けるかわからない状況になって。そのときに両親が“あなたの職業は笑顔でいなくちゃいけない仕事だから、余震で怯える生活よりもお兄ちゃんがいる東京に行きなさい”って言ってくれたんです。
私、『CanCam』でもハッピー担当みたいなところもあったから。それで親が事務所の社長に“西山家のワガママかもしれませんけど、ウチの兄と一緒にいさせることで安心もできますのでお兄ちゃんと一緒に住むという形でもいいですか?”と。そこから東京生活がスタートしました」