再起、そしてプロの道へ
「今から考えれば、あのころはうつ状態だったんじゃないかなぁ……」と、ごっちゃんこさん。相撲をやろうと推薦で大学へ来て、肝心の相撲が取れない。アスリート人生最大の危機だ。そのときに、ふと「音楽をやろうかな?」と思ったという。
「高校生のころに“相撲以外のほかの世界も知らなきゃ”って、エラそうな思いにとらわれて(笑)、ドラムの練習を始めたんです。きっかけは、『ヒラヒラヒラク秘密ノ扉』という曲でチャットモンチーの大ファンになり、ドラム担当の高橋久美子さんのパフォーマンスがめちゃくちゃカッコよかったから、ドラムです。
それで僕は京都・左京区にある『エムジカ』というレンタルサイクル屋さんで自転車を借りて学校へ通っていたんですが、実は、そこは京都のアンダーグラウンド・シーンの拠点のような店でした。店主はもともとミュージシャン。“相撲やれなくて、音楽やってみたいんですよね”って言ったら、“ここにあるよ、スタジオ・エムジカが”なんて言われて、その人と一緒に『ちゃんこぽんちー』というユニットを組んで音楽活動を始めました」
最初はまわし一丁でドラムを叩いて歌い、自転車屋さんがギターとコーラスを担当した。地元のお祭とかお店のパーティーなんかに呼ばれてライブをしていたけれど、ドラムセットを運ぶのが面倒で、そのうちボディパーカッションからヒントを得て、まわしを叩く「まわしパーカッション」を始めた。
「でも相撲に復帰するための気分転換というのは忘れないようにしていました。治療に通い、リハビリに励んだんですが、なかなかよくならない。そこで大学3年の秋にヘルニアの手術を受ける決意をしました。最後の1年に賭けよう! って。手術はうまくいき、そこから身体つくって11月のインカレ(全国学生相撲選手権大会)には団体戦に出させてもらい、2回勝ったんですけど、最後に小さいころから知ってる選手に負けました。満足いく結果じゃなかったですけど、久しぶりに自分の力を出せた感じがして、スッキリした。でも……」
でも?
「スッキリしたら、こんなにオレ、相撲ができたんだ! と思いました。また稽古を始め、入間川部屋に入門が決まっていた、いま、幕下にいる大元に誘われて一緒に部屋へ稽古に行ったんです。そのとき親方から“大学時代に思いきりできなかったぶん、相撲がしたい気持ちが残ってるんだろう? オレもそうだった”と言われたんです。
親方も大学時代にケガで相撲が取れず、それを取り返そうとプロになったと聞いて。もう、すぐにでも入りたい気持ちにはなりましたけど、就職も決まってたから親父に相談すると、大反対。“じゃ、3年間だけ”と約束して入門したんです」
角界入りした理由は「とにかく残した伸びしろを塗りつぶしたい」というもの。「変な言い方をすると、相撲をやめるために大相撲に入ったんです」という。やめるためにプロになったなんて初めて聞いたが、ごっちゃんこさん、いや、大司は最初の1年で、幕下までグングン出世した。