昨年1月、実父から虐待され、わずか10歳で生涯を終えた栗原心愛ちゃん。2月21日から始まった父親・勇一郎の裁判員裁判では狡猾な小男の素顔が浮かび上がった。なぜ、人は虐待をするのだろうか。虐待サバイバーとして活動する、歌川たいじさんが見た、「虐待する彼ら」とはーー
私は子ども虐待も、いじめも、さんざん被害に遭いましたので、「なぜ、彼らはあんなにも私を攻撃し続けたのだろう」という疑問を常に抱いていました。
彼らは、感情的で残忍で、幼い私が心身の痛みに泣き叫んでも、攻撃がやむことはありませんでした。誰かに助けを求めると、そのこと自体に激高して、さらにひどく暴力や罵声を浴びせかけてきました。なぜ、あんなにひどいことができたのか。私はいつもいつも、何十年も考えてきました。
「洗脳」という言葉以外見つからない
虐待もいじめも同じなのですが、加害者たちは「間違ったことをしている」とは微塵も考えていませんでした。“ろくでもない”私に対して、「懲らしめなければならない」「思い知らせねばならない」と、ひとりよがりな正しさに満たされていたように思います。その様子は、自分で自分を洗脳しているかのようでした。
洗脳された人間は、地下鉄サリン事件などからもわかるように、無差別テロなど想像を絶することをやってのけます。戦争も、プロパガンダによって国民全体を洗脳して扇動します。
加害者はさらに、周囲の人たちに「あいつはどうしようもない人間だ」といったことを吹聴し、被害者の外堀を埋めていきます。そして、ついには「おまえは暴力をふるわれて当然の人間なのだ」と、被害者本人を洗脳するのです。そうなると被害者は、死ぬまで無抵抗になったりもするのです。子どもであれば、なおさらです。心愛ちゃんは助けを求めることができただけ、強かったのかもしれません。
洗脳などという言葉を使うと、カルト教団みたいですが、やはり、洗脳という言葉以外に適当な言葉が見つかりません。カルト教団のようなことが、家庭や学校で行われているのです。
なぜ、加害者は自分で自分を洗脳したりするのでしょうか。心の闇の種を持つ人は、世の中にたくさんいます。それが「孤立」によって増幅されたとき、攻撃衝動や支配欲が波のように押し寄せ、そんな結果につながっていくのではないかと私は思っています。心愛ちゃんの父親の、教育委員会や児童相談所での言動を記事で知ったとき、「虐待などではない」と言い張る様子が、自らを洗脳している人の典型的な態度だと思いました。
今日、貧困や社会の非寛容化によって、孤立していく人は増えていることと思います。常々思っていることですが、被害者を救うことだけ考えるのでは子ども虐待はなくなりません。加害者や加害者予備軍の親たちをまずは支援して救っていくことが大事なのではないでしょうか。
歌川たいじ・1966年、東京都生まれ。漫画家、小説家。パートナーのツレちゃんとの日々をつづったブログ「ゲイです、ほぼ夫婦です」で人気を博し、2010年『じりラブ』でデビュー。2013年に刊行された、母からの虐待、学校でのいじめなど、壮絶な半生を描いた『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(KADO KAWA/エンターブレイン)が反響を呼び、2018年に映画化された。