1年浪人して有名私立大学の数学科へ入学。数学は大好きだったが、やはり音楽を聴いている時間がいちばん楽しかった。歌手になりたいという「かすかな夢」も抱き、バンドを組んだ。映画にも魅せられ、音楽と映画、麻雀にアルバイトと学生らしい多忙さに見舞われて、見事に留年。就職試験にはすべて落ちた。
「しかたなく学生時代からアルバイトをしていた親戚の会計事務所で働くようになりました。簿記の学校にも通った。ただ、私は数学は好きだけど法律は苦手で、まったく頭に入ってこない。簿記試験のプレッシャーもあって、仕事でミスばかりしていました。子どものころからずっと、ミスしてはいけないと思うとミスが重なっていく。雇ってくれた親戚の叔母からは信用をなくし、母からは責められて、どう生きたらいいかわからなくなっていきました」
仕事のミスで衝動的にひきこもる
思えば、いつでも人の間で「浮いている」感覚があった。場になじむのに時間がかかるし、自分がどう振る舞えばいいのかわからないことも多い。長井さんは、幼いころからケンカや離婚など、オトナの事情に振り回されてきた。子どもらしく安心して自由に過ごしたこともない。だから、周囲の目を気にするようになってしまったのではないだろうか。
それでも28歳くらいまでは頑張った。ところが、会計事務所でのミスはさらに多くなり、ついには「正気を失った」ように逃げて、自室にひきこもった。そこからほぼ10年間、ひきこもったり別の短期アルバイトをしたりを繰り返した。
「いちばんひどかったのは、会計事務所から逃げたあとの半年くらいですね。完全に自室にこもって、ひたすら絵を描いていました。もともと絵が大好きだったのに、子どものころ母親に絵をバカにされて描けなくなっていたんです。その反動なのか、自室で絵を描き続けていた。知り合いや自分の似顔絵が多かったですね。母から否定的な言葉をたくさん受けて育ちましたから、それを見返したくて絵を描いていたのかもしれない」
溺愛する一方で、過干渉をしながら否定的な言葉を投げつけてくる親。期待値が高すぎたのだろうか。まるごとの存在を認めてもらえなかった子は、やはりどこか心に歪みが出る傾向にある。
この連載で何人ものひきこもり経験者と話してみて、そう感じている。
その後はアルバイトをしたり、印刷会社に就職したりもするが、やはりずっと「精神的な破綻」を抱え込んでいてうまくいかない。2002年から本格的にカウンセリングを受けるため、セラピストの自宅近くに引っ越し、亡くなった祖母の遺産を取り崩してひとりで生活を始めた。母から物理的にも精神的にも距離をとることで、やっと「時間が動きだした気がした」そうだ。とはいえ、親戚からみれば「ごくつぶし」である。そう言われていることを彼自身も熟知していた。