「あのとき、なぜこうだったのか?」を当時、注目を集めた有名人に語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえてきた声、そして当時言えなかった本音とは……。第5回は『東京のバスガール』で人気を博した初代コロムビア・ローズ。わずか10年の活動後に電撃引退を表明した。その背景には何があったのか。そして、最近あった“変化”についても語ってもらった──。

「娘が友人と食事をしてると、近くの席から“コロムビア・ローズってまだ生きてるの?”って聞こえてきたそうなのよ。だから娘は“まだ生きてると思いますよ”って隣から口を挟んだそうでね」

 そんな冗談を交え、明るく話すのは初代コロムビア・ローズ。今年1月で87歳になった。

社名を背負ってデビューした「覆面歌手」

『東京のバスガール』や『どうせひろった恋だもの』といったヒット曲を持ち、第7回紅白歌合戦から5回連続で出場した経歴の持ち主だ。当時、何より印象的だったのは“覆面姿”でのデビュー。

無我夢中で、覆面が嫌とか考える余裕もなかった。ただ、覆面をつけて仕事をしている間は帰郷できず、知人にも会うことができなかった。誰かに偶然会えないかと、上野駅まで行ったこともありました

 群馬県桐生市出身のローズは、'51年に『コロムビア全国歌謡コンクール大会』の決勝に進出。優勝し、デビューを決める。のちに五木ひろし都はるみなどがデビューするきっかけとなる大会だ。

「決勝の当日は別の仕事が入っていたのですが、NHK前橋支局の当時の局長さんが“行ってきなさい”と背中を押してくれました。あれがなかったら、今はなかった」

 デビューのため母親と上京。最初はレッスンや愛知県の中部日本放送(CBCテレビ)でのラジオの公開録音の仕事でスタート。本格デビュー前のため、覆面をつけて素性を隠し、当初は『ミスCBC』として出演した。

 テレビ放送が、まだスタートしていない時代の苦労話を披露する。

濃いレンズのサングラスや覆面をつけて出演していました。当時は録音したテープを切ってつなげる技術がなく“一発録り”をしないといけなかった。咳払いも、余計な声を出すのもダメ。でも、公開録音の司会がお笑いの方で、面白くって、私、つい笑ってしまって。プロデューサーが頭を抱えてね。来ているお客さんに謝って、最初から録り直しをしていました

 '52年4月、『娘十九はまだ純情よ』という曲でコロムビア・ローズとして、『日本コロムビア』の社名を背負い正式にデビュー。しかし、デビュー後も覆面はつけたまま。雑誌『平凡』に《コロムビア・ローズはいつ仮面を脱ぐのでしょう?》という懸賞企画も掲載。“謎の歌い手”として人気を博したローズが覆面を脱いだのは'52年10月の東京・日比谷公会堂でだった。

覆面をつけたコロムビア・ローズ。これは挨拶状に使う写真だったという
覆面をつけたコロムビア・ローズ。これは挨拶状に使う写真だったという