「50年近く住んでいた自宅を出ていったようです。表札もはずされて、雨戸は閉まりっぱなし。普段から近所付き合いはなかったですが、引っ越しされるという挨拶も特になくて……」(近所の住民)
東京・世田谷の成城エリア。言わずと知れた高級住宅街に建てた豪邸から姿を消していたという加山雄三。
「4月上旬に引っ越し業者が来て、荷物を運び出していました。最近お見かけしたのは昨年11月ごろ。退院されたばかりだったようで、お手伝いさんの女性に支えられながら、やっと歩いている雰囲気でした」(別の近所の住民)
加山は昨年11月に軽い脳梗塞で緊急入院したが、10日ほどで退院。その後、自宅で“退院祝い”もしていた。
「ご近所にお住まいで、昔からの常連さんになっていただいている司葉子さんから料理の注文があって、加山さんのご自宅にお届けしましたよ」(和食料亭の店員)
そんな周囲の励ましもあってか、昨年12月にはステージに復帰していた加山だが、住み慣れた街と家を出て、どこへ行ったのか。
「かつての加山さんは、仕事がなければ自宅にいるよりも“愛艇”の『光進丸』で過ごすほうが多かった。船を泊めていた西伊豆の住民からは“船長”と呼ばれていましたが、船で沖へ出るのではなく、停泊させた『光進丸』の中で普段の生活をしていたんです」(音楽業界関係者)
加山にとって“身体の一部”といわれた『光進丸』が火災で全焼したのは'18年のこと。かつての加山は週刊女性に船上でこう語っていた。
愛艇“全焼”後、若大将の行方が
「俺は歌手になりたかったわけではない。船の設計士か船乗りになるための資金づくりのために歌手になったんだ」
ひょっとして新たな船を手に入れて、再び西伊豆の港にいるかもと思ったが……。
「加山さんは船が焼失してからは見かけていないよ」
といった声しか地元住民からは聞こえてこない。かつて『光進丸』を管理し、加山と親しいはずの造船会社も訪れて聞いてみたが「加山さんが引っ越した? 知らないなあ」とのことだった。
本来ならば4月11日の83歳になった誕生日にコンサートを開き、デビュー60周年の始まりだった加山。しかし、コロナウイルスの影響で中止に。加山はどこにいるのか?
そこで彼の個人事務所に聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「昨年の暮れに“自立型ケアハウス”に引っ越したんです。これは脳梗塞になる前から決めていたことです」
自立型ケアハウスとは、食事や掃除や洗濯などの生活支援サービス付きの高齢者向け住宅のこと。介護サービスを受けるには別途となっている。
「ケアハウスは奥さんも一緒ですよ」(事務所の担当者)
ちなみにコロナがおさまればコンサートは再開する気だとも。永遠の若大将は元気に“終活”の真っ最中だった。