かつて世間の注目を集めた有名人に「あの騒動の真っ最中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー連載。第9回は'80年代後半から'90年代前半にかけて活動したアイドルグループ『CoCo』の一員だった、はねだえりか(47)。グループが解散に至った経緯、また妊娠・出産を経験し、その後シングルマザーを選択した理由について聞いた。

もともと芸能界に入るつもりはなかったんです。母は私を姉と同じ薬剤師にさせたいと考えていたので、そうするつもりでした

 '89年に放送開始したフジテレビ系バラエティー番組『パラダイスGOGO!!』。アイドルを目指す10代の女の子たちで構成された番組内のグループ『乙女塾』の1期生で、同年に5人組アイドル『CoCo』としてデビューした、はねだえりか(旧芸名・羽田惠理香)。現在もタレントとして芸能活動をしているが、デビュー当時は2年前に『おニャン子クラブ』が解散し、“アイドル氷河期”と呼ばれたころだった。

はねだがCoCoになるまで

「姉が勝手に私の書類を作って、『国民的美少女コンテスト』に応募したんです。トントン拍子に選考が進んだので、気持ちが盛り上がって。でも、最終選考はステージの上を歩いただけで終わり、受賞を逃しました。それがすごく悔しくて、『乙女塾』に応募したのが始まりでした

『CoCo』と同時代に活躍したアイドルグループ『ribbon』メンバーも在籍していた『乙女塾』。タレント育成も目的としており、女優・歌手・モデル・タレントを目指して日々レッスンを行っていた。はねだは“歌手コース”に在籍していた。

「1週間に土曜日だけ歌のレッスンがありました。でも、私は女優コースで応募していたんです。歌がうまいわけではなかったし、“羽田さんは歌手コース”と言われて驚きました。無理ですよと……」

 それでも『パラダイスGOGO!!』に出演しながら、『EQUALロマンス』という曲でデビュー。

「初めてのレコーディングはヒドイものでした。ヘッドホンから自分の声が流れるなんて、わけがわからず(笑)」

 デビュー曲はオリコン7位を獲得。その後もシングルは11曲連続ベスト10入り。バラエティーなどのテレビ出演も増え、次第に忙しくなる。はねだは進学校に通っていたので、苦労も多かった。

小・中・高と筑波大学附属校に通っていました。いわゆる“芸能人が通う学校”ではなく学業優先。学校に芸能活動を伝えると、アルバイトとしては認めるけれど、特別扱いはしないと。仕事現場で宿題をやって、間に合わないと家に持ち帰っていました。夜遅くまで仕事しても、朝は時間どおりに学校に通っていたので、いつも睡眠不足。学校生活をしっかりこなそうとしましたが、留年して高校には4年間通ったんですよね

 現場からメイクしたまま学校に行くことも。忙しい毎日だが給料は月給制で、デビュー当初は月7万円だった

「あまり買い物もしないし、母に管理してもらっていました。1年ほどすると、自分はアイドルのタイプじゃないと思うようになりました」

 '92年にはメンバーが1人抜けて、4人組に。