進学校で知られる神奈川県内の私立中学校に進んだころには、そんな日本の文化を楽しんでいたフシも。小学生のときには自由に伸ばしていた髪型も、厳しい校則に合わせてバッサリ整えたという。
帰国子女の彼には窮屈そうに見える中学生活だが、担任の先生の存在が救いになっていたようだ。
「『ヒキコモリロリン』という曲の歌詞に登場する人の名前は当時の担任のこと。毎日持ち物検査をする厳しい学校でしたが、その先生だけは検査をしなかったのだとか。生徒のプライバシーを守り、自主性を重んじる先生の姿勢が野田さんは気に入っていたようです」(音楽ライター)
「あのバンドには華がある」
内部進学でそのまま高等部に進学し、高1のときにRADWIMPSを結成。在学中の2003年には自主制作で1stシングルとアルバムを発売するなど、精力的に活動するようになった。初めてライブを行った神奈川県横浜市にあるライブハウス『B.B.STREET』の代表・亀田弘之さんは当時をこう振り返る。
「高校生バンドがブームで、RADWIMPSもそのひとつでした。毎回100人以上を集客する人気ぶりで、先代の代表も“あのバンドには華がある”と圧倒的な才能を感じていました。そのころから、ある種のオーラはありましたね。実際、2002年に横浜で行われた高校生バンドの大会でグランプリをとって、もうその時点で事務所から声はかかっていたんじゃないかな」
アーティスティックな印象がある野田だが、高校時代からそれは変わっていない。
「ライブ中のトークも少なく、寡黙で少し尖っていた印象です。’18年にNHKの番組で野田さんがうちに来て久しぶりに会いましたが、雰囲気はほとんど変わっていませんでしたね」(亀田さん)
野田は16年前、亀田さんがかけた言葉をずっと覚えていた。
「初ライブ後に、楽屋で“次はいつ(うちで)ライブやる?”と僕が聞いたのが印象に残っていて、すごくうれしかったと言っていました。またライブをしてほしいということですから、自分たちの音楽が認められたと思ったんじゃないでしょうか」(亀田さん)
大学受験もあり、休止期間があったものの、バンドの名はまたたく間に音楽ファンの間に知られるように。2005年には東芝EMIからメジャーデビューを果たし、順調にミュージシャンとしてのキャリアを積んでいく。