ロフト人生を通して、平野さんにとって最も付き合いが古い1人が坂本龍一だ。
「烏山の店には、東京芸大の大学院生だった坂本が来ていました。当時から女にモテたよね。ヒッピーが全盛のころだから、格好はビシッとしていなかったけど、雰囲気はあった。近くに通う女子大生のレポートを書いてあげてましたね。酒も1杯おごってもらったりして(笑)」
坂本龍一には当時からオーラがあったようだ。
「今まで会った人でいちばんインパクトがあったのも坂本。初めて見たときから天才だと思ったし、客が誰もいないのに、よくピアノを弾いていた」
ほかにも思い出は尽きない。
豪華すぎる!輩出された大物有名人たち
「RCサクセションも客が入らなかった。“僕はRCが大好きだけど、客が5人じゃ商売にならないからステージに出せない”って、忌野清志郎に謝った。でも『屋根裏』という別のライブハウスに出たら、半年後に人気が爆発(笑)。
スピッツは客が入っていたけど、俺が出したくなかった。バンド名が気に入らなくて、ロックなんだから、せめて“ブルドック”にしろよって思っていた。『ロフト』からCDも出して、倉庫に何十枚もあったけど、いらないから捨てちゃった。彼らがブレイクしてCDに10万円以上のプレミアがついたって聞いたけどね (笑)」
芸能界の大御所・タモリが“デビュー”したのもロフトだった。
「ピアニストの山下洋輔さんの声がけで、福岡に面白いやつがいるから、会場費は払えないけど場所だけ貸してくれって言われて。赤塚不二夫さんたちも集まって、みんなでネタ見て大笑い。その後も何回かステージをやって、芸能界でブレイクしたね」
ライブハウス受難の今、波瀾万丈な『ロフト』を半世紀、運営してきた平野さんはいう。
「コロナで俺はロフトのオーナーは辞めました。後はバトンタッチした若い人たち次第。原発騒ぎでも変わらなかったこの国がどう変わるかも、楽しみではありますね」