他方、「家の前で遊ばせたら道路族と言われてしまうのかな」と心配する声もある。
今野さんの被害は明らかな嫌がらせであり、条例違反だ。ただ、ひと口に道路族といっても明白な違法行為ばかりでなく被害の中身も、とらえ方も幅がある。常識に対する感覚も個人によって違う。道路族という言葉は、ともすればレッテル貼りになりかねない危うさをはらむ。ネット上では実際、子どもが道路で遊ぶ動画を無断でアップしたり、住所をさらしたり、行きすぎた振る舞いも目につく。
そもそも都市部では公園ですら「ボール遊び禁止」の場所もあり、公共の遊び場自体が減っている。筆者の子どもは公園で「邪魔だ!」と高齢男性に杖(つえ)を振り回されたことがある。どこが安全な遊び場なのかわからず困っている親は少なくない。事故や犯罪に遭わぬよう、目が届く自宅前で子どもを遊ばせたい保護者もいる。このような現実がある中、道路族の問題にどう向き合うべきだろうか。
平本さおりさんは、ラッシュ時に毎日、ベビーカーで保育園に通う中、電車内で「邪魔だ!」と怒鳴られた経験がある。そうしたことから、子連れの母親が嫌がらせを受けたり、ベビーカーを蹴られたりする「子連れヘイト」の問題に取り組み続けてきた。『子連れ100人カイギ』の実行委員長として、仲間とともに東京都に訴えかけ「子育て応援車両」の導入につなげた。
平本さんは「家で静かに過ごしたい人、子どもを家の前で遊ばせたい人、双方に理由があるんですよね」と話す。シェアハウスで子育てをする中で「子どもが苦手」という人に出会った。家族のような関係だからこそ「どうして苦手? どう調整できる?」と聞くことができたという。
「どちらの主張が正しいという話ではなく、お互いの間にある解決策を考えることが必要ではないでしょうか」
一方、「道路族もベビーカーの問題も、都市化に伴う人口過密という社会の問題でもある」と指摘するのは、ニッセイ基礎研究所の坊美生子さん。互いに節度を持ち、道路で遊ぶことが成り立つ地域もあるが、「トラブルの発生時に利害調節機能を持っていることが大切です」と話す。
新興住宅地では知らない人同士が突然に出会うケースが多く、人口は過密化するのに暮らしは断絶する、現代社会ならではの難しさがある。
「知っている子が悪いことをするとイタズラになるけれど、あまり知らない子がやると、犯罪(扱い)になる」
そう語るのは『あそびの生まれる場所「お客様」時代の公共マネジメント』の著書がある、NPO法人『ハンズオン埼玉』理事の西川正さんだ。
「大切なのは、ルールよりも“折り合い”。対話が成立すればお互いの自由は守れます。迷惑行為をきっかけに出会ったとしても、直接文句を言いにきてくれた人とは、仲間になれることもあるんです」
西川さんはこんなエピソードを話してくれた。コロナ禍で公共施設が次々と閉まる中、西川さんの友人が運営する子どもの遊び場は行政とも協議して施設を開け続けた。虐待などで、家族の中にいることが困難な子どもたちもいるからだ。しかし「なぜ自粛しないのか」と、ひとりの女性が電話をかけてきたという。友人はじっくりと話を聞いて受け止めたあとに、施設を開けている理由を丁寧に説明したところ、女性も最終的には納得してくれたという。トラブルが活動の理解へつながるきっかけになったのだ。
道路族をめぐる問題でも、人との関わりを厭わず、互いの話を聞くことが解決の糸口になるのかもしれない。
(取材・文/吉田千亜)
【PROFILE】
吉田千亜 ◎1977年生まれ。フリーライター。福島第一原発事故で引き起こされたさまざまな問題や、その被害者を精力的に取材している。近著に『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)がある