おふくろを生き返らせろと叫びたかった
一緒に暮らしたのは2年だけ。胸がつまる思い出もたくさんある。自分を置いて、ひとりで逝ってしまった。しかし、そんな母親でも嫌いにはなれないという。
「むしろ生きているときは恨んだし、“本当に俺を生みたかったのか”くらいに思っていたし、“俺なんかいなきゃよかったんじゃないか”と、自分を責めたこともあります。でも、いま思えばおふくろは、いちばん俺を愛してくれてたなって感じられるエピソードもあるんです。絶対に俺のことを否定しなかったし、育て方は知らない人やけど、そんな人でも俺の最大の味方であった、っていうのは間違いじゃなかった。思えば、亡くなる半年くらい前には、学校に差し入れを持って来てくれたりもした。失って、初めて大切さに気づきました。もう恨みは一切ありません」
母親が命を絶ったあと、高校の同級生や周りの人から受けた「何かあったら頼れ」「相談に乗るよ」などの言葉が、実はとてもつらかったという。
「当時は何が起きたのか冷静に判断できなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていました。仲間は“何かあったら言えよ”っていうけど、“じゃあ、おふくろを生き返らせてくれよ”と心の中では思っていた。でも、それは叶うはずもないから、誰にも話せなかった。
今だから言えるんだけど、とにかくそっとしておいてほしかったし、俺が喋りたくなったときに、ただ受け入れてくれればそれでよかった。変に責任感とか正義感のようなものを押し付けられている気がして、“かえって余計なお世話だよ”と思ってしまっていましたね。今なら、純粋に心配してくれていたんだろう、と分かるけれど」
さらに、母親の死を受けて祖母と役所に行ったときに、目を疑う出来事が。戸籍上の「父親」の欄に、自分の思っていた人とは別の、知らない名前があったのだ。
「結論から言うと、“生みの親父”と“育ての親父”がいて、今まで父親だと認識していた人は後者だったんです。名前を見た俺が“あれ? これ誰だよ”って祖母に聞いたら、彼女はオロオロしながら“言ってなかったけれど、これがあなたの本当のお父さん”って」
その後、祖母に他県にある実父の家に連れて行ってもらった。
「“おふくろをこんな目に遭わせて、のうのうとしやがって!” と、怒りにいこうと思ったんです。元任侠の人で、庭付きの大きな家に住んでいました。外からのぞいたときに、その人と自分よりちょっと歳上の子どもが、大型犬とじゃれあう姿見えたんです。それを見たら“邪魔しちゃいけないや”と思い、急に冷めちゃって。“ばあちゃん、俺、もういいや”って言いました。“いいの?”と聞かれましたが“うん、なんか、もういい”と、会わずに帰りましたね」