石原プロ解散が渡さんの悲願

 来年1月に石原プロは解散を決定。渡さんと石原プロとのCM契約が来年9月で満了となるため、今作で有終の美を飾ることを決めたという。

 シリーズへの出演本数は2人合わせて247本になる。渡さんは「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただくのは、感慨深いものがあります」とコメントしていた。

 実は、石原プロを解散することは、裕次郎さんの遺言のひとつでもあった。

「裕次郎さんの“命”を受けて、石原プロを自分の目が黒いうちにきれいに終わらせるというのは、渡さんの長年の悲願でもありました」(制作会社関係者)

 そして、裕次郎さんのもうひとつの遺言は「映画を作ること」だった。

 それは、現世での大仕事を片づけた渡さんの冥土の土産となった。今ごろ空の上で、ふたり酒を酌み交わしながら、新作映画の構想を練っているに違いない。

普段はマスコミNGの都内自宅で特別にプライベートショットを。リビングのソファでくつろぐ様子などを撮影した(’97年) 撮影/本誌写真班
普段はマスコミNGの都内自宅で特別にプライベートショットを。リビングのソファでくつろぐ様子などを撮影した(’97年) 撮影/本誌写真班
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男気俳優・渡哲也さんの人生

’41年 12月28日生まれ。兵庫県の淡路島で育った

’64年 青山学院大学在学中にスカウトされて、卒業後、日活へ入社

’65年 宍戸錠とW主演の映画『あばれ騎士道』でデビュー。歌手デビューも

’66年 吉永小百合との初共演映画でブルーリボン賞新人賞を受賞

’71年 日活を退社し、石原裕次郎さんが設立していた石原プロへ入社

’73年 『くちなしの花』が150万枚のヒット。全日本有線放送大賞金賞を受賞

’79年 テレビ朝日系ドラマ『西部警察』シリーズに大門刑事役で出演

’87年 石原裕次郎さんが7月に他界したことから、10月に石原プロ社長に就任

’91年 直腸がんであることを発表、人工肛門に

’05年 紫綬褒章を受章

’11年 石原プロの社長職を辞任

’15年 急性心筋梗塞で緊急入院

’17年 相談取締役として石原プロの経営に復帰

’20年 8月10日、肺炎のため死去