'90年代に入って記者会見の風向きが変わる
例えば、海老名美どりの“緊急発表”と題された会見('82年)は、「峰竜太との離婚!?」をにおわせておきながら、ふたを開けると「タレントをやめてミステリー作家になる」という芸能史に残るどうでもいい会見だった。ところが、いまだ多くの人の脳裏に焼きついているから恐ろしい。
同様に、視聴者にもモヤモヤとした思いを残したのが、近藤真彦と中森明菜の交際解消会見('89年)。
「明菜は婚約発表会見のつもりで登壇したと聞いています。それがあんな形になるとは。見ていた人たちもなんとも納得がいかなかったのではないでしょうか」(渡邉さん)。現在だったらブログや事務所の発表ですまされていたであろうこの一件。結果として歴史に残る会見のひとつとなった。
その極めつきといえるのが、パンツの中にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕された勝新太郎の記者会見('90年)。とぼけ続けたあげく、「もうパンツをはかない」と放言し、世間をアッと言わせた。
企業の危機管理やメディア対応のコンサルティングを行う窪田順生さんは、「マニュアルどおりの謝罪会見が存在しなかった時代。勝新さんや、フライデー襲撃事件後のビートたけしさんなどは、人間性が垣間見えるような、その人にしかできない記者会見を開いていた」と分析する。
このタレント性重視の会見が、百戦錬磨の芸能レポーターとの丁々発止を生み出し、「記者会見が場外乱闘のような表現の場になっていた」と続ける。
しかし、'90年代に入ると風向きが変わる。バブル崩壊、阪神・淡路大震災、そして「ああ言えば、上祐」という流行語にもなったオウム真理教による一連の事件が世間を騒がし、芸能の記者会見も、がんを公表するケースや破局系など暗いものが目立つようになる。
「'80年代まで通用していた場外乱闘としての記者会見が通用しなくなってきた」(窪田さん)
その最たる例が、田原俊彦の長女誕生記者会見('94年)で発した“ビッグ発言”だ。「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいビッグになっちゃうと~」と答えるや、調子に乗っていると受け取られ、田原の芸能活動は一変。
'00年に発覚した盗撮事件で、「ミニにタコができる」と弁明した田代まさしも同様だろう。ひと昔前なら笑ってすんだかもしれない会見に対して、世間はどこか冷めたまなざしを送り、シビアに判断する……そして、当事者のタレントはしっぺ返しを食らうことになる。