その一方で同年末に発売された失恋バラード『Ice Rain』では、しっとりと歌い上げており、これまでの可愛い感じの歌唱から、より寂しげにシフトすることで、新たなヒット路線を自ら開拓した。本作はノンタイアップながら、累計41万枚のヒットとなり、'98年ごろまで冬の定番曲となっていた(ミラクル度30%) 。

『鋼の森』は“SMAP騒動”へのアンサー?

 そんな静香のミラクル度が再びアップしたのが'97年の『Blue Velvet』だろうか。このころにはワイルド&キュートに加えてクリアな高音ボーカルも多用するようになり、ものまねのネタになりそうなコミカルな要素は多少減っていたが、この曲に関してはツッコミどころが満載だ。

 本作は、作詞を愛絵理名義での本人、作曲を『シャ乱Q』のはたけが手がけた歌謡ロックチューン。《♪ラン トゥ ザハリケーン》といったアニメ『ドラゴンボールGT』の主題歌に合わせた歌詞で、敵に立ち向かう様子を彷彿(ほうふつ)とさせるかのようにワイルドに歌っている。それでいて、大サビ前の《♪何もかももうメチャクチャなの~》の部分は、悟空に甘えるかのような猫なで声にすり替えるメリハリもあって、CDは最高8位とTOP10入り、カラオケチャートでは週間1位にまでのぼりつめた。

 当時、テレビではタンバリンを持ちながら、男性がドキリとしそうなキャミソール風の白ワンピースで​熱唱していたのが印象深い。とはいえ『Blue Rose』ほどのエグみは感じられず、そのぶん、間奏でののびやかなファルセット(高音を出すために作り出す声色や発声技術)もきれいになった(ミラクル度70%)。

 そして、この翌年に発表したЯKこと河村隆一が作詞・作曲を手がけた『一瞬』('98年)では、まるでデトックスしたかのようにクリアな高音ボーカルで全編を歌っていたのも驚きだ。ジャケット写真はそのイメージどおり、美白な様子で写っていたが、テレビで歌う時期にサーフィンにハマっていたため、日焼けして真っ黒になっていた。こうした一貫性に乏しく、気ままにやってしまうのも彼女らしいと言うべきか(ミラクル度40%)。

 その後、'00年に結婚して以降は、出産や育児中心の生活になり、数年に1度のペースでオリジナル盤や新曲を含むベスト盤を発売。その限られた時間のなかで、浜崎あゆみと共演した音楽番組において「骨盤がはずれちゃうんだよね~」と収録中にわざわざはずしたり、明石家さんまと飯島直子との共演でグダグダなバラエティー番組のMCを務めたりと、音楽活動にはほとんどプラスになっておらず、正直やきもきすることも多かった。

 しかし、ソロデビュー30周年となる'17年のオリジナルアルバム『凛』で、歌手としての本領を発揮。B'zの松本孝弘によるロックチューンや、動画系で人気のシンガー・まふまふが手がけた高速ナンバー、ママ友の元プリンセスプリンセス・奥居香(岸谷香)が作ったアッパーチューンなどに果敢(かかん)に挑み、いずれも静香色に染めあげている。

 最注目は1曲目に収録された『鋼の森』だろう。《その翼は傷付いても止まる事なく高い空を飛ぼうとする》《真実は語られる事もなく消えていく日もあるけど》《未来の窓は開く日が来るから》と、絶望的な状況の中でも決して希望を持つことをあきらめない気持ちを歌ったバラードで、静香本人が作詞を手がけているが、この前年にSMAPが解散し、さまざまな憶測による批判が集中したことに対する、彼女なりの答えを示したようにも聞こえる作曲は次女のkoki,が手がけたが、当時はモデルデビュー前ということと、koki,の本名が「光希」であることから、ファンの間でもこれが母娘共演だとは想像されもしなかっただろう。

 本作では低音がより響くようになると同時に、母性ゆえの優しさも加わり、ミラクル度はグンと低くなっている(ミラクル度30%)。ステージでは手話を交えて熱唱し、感動して聴き入る観客も少なくない。コロナ禍だからこそ聴いてほしい、力強いバラードだ。

 以上のように、ミラクルひかるをひとつの基準とすると、歌い方の変遷が非常によくわかる。いつかミラクルと共演すれば、その似ている部分と異なる部分はより明確になることだろう。

 浜崎あゆみが自叙伝風の小説をもとにしたドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日系)の放送をきっかけに、今年5月の週間ダウンロード・チャート(オリコン調べ)でアルバム『A COMPLETE ~ALL SINGLES~』が1位となり、見事に復活を遂げたように(これを当時、売れていたから当然でしょ、という人もいるが、このCDは一時、中古ショップに250円以下であふれ返っていたものだから、すさまじいV字復活と言える)、工藤静香音楽的な実績で再評価を受けることもひそかに期待している。何より、ステージでは現役感のある歌声を披露しているのだから。

(取材・文/音楽マーケッター・臼井孝)